2025年1月22日、シアトル・マリナーズは、イチローさんの背番号「51番」を永久欠番とすることを発表しました。
この決定は、イチローさんの米野球殿堂入り決定と同日に行われ、その偶然の一致に、イチローさんは「今は51歳なのでこのタイミングではなかなか特別です」とコメント。
マリナーズでは、ケン・グリフィーJr.の24番、エドガー・マルティネスの11番、全球団共通のジャッキー・ロビンソンの42番に続く4つ目の永久欠番となります。
単なる数字から野球界の象徴となった「51番」の軌跡を、その歴史とともに振り返ります。
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イチローの背番号「51番」とその歴史
イチローさんと「51番」の関係は、単なる偶然から始まり、やがて野球界を代表する象徴的な背番号へと進化していきました。
その道のりには、イチローさんの野球への真摯な姿勢が如実に表れています。
イチローが「51番」を選んだ理由
画像引用元:週刊ベースボールONLINE
実は、イチローさんは当初から「51番」を選んでいたわけではありませんでした。
1992年、オリックス・ブルーウェーブに入団した際、高卒ルーキーには50番台の背番号が与えられる慣習があり、ドラフト4位指名だったイチローさんには自然と51番が割り当てられたのです。
このエピソードについて、イチローさんは「選べる立場じゃないですよ。高卒のドラフト4位なんて、選べるわけないじゃないですか」と率直に語っています。
しかし、この「与えられた番号」は、後に彼のアイデンティティの一部となっていきます。
イチローが「51番」以外を付けたことはある?
画像引用元:JIJI.COM
イチローさんのキャリアの中で、「51番」以外の背番号を着用したのは、ニューヨーク・ヤンキース時代(2012-2014)の「31番」のみです。
これは、バーニー・ウィリアムスの「51番」が既に永久欠番となっていたためでした。
イチローさんが51番を着用したチームは次の通りです。
- オリックス・ブルーウェーブ(1992-2000)
- シアトル・マリナーズ(2001-2012)
- マイアミ・マーリンズ(2015-2017)
- シアトル・マリナーズ(2018-2019)
個人的に興味深いのは、1994年にイチローさんがNPB史上初の210安打を記録した翌オフ、オリックスから「7番」への変更を打診されたにもかかわらず、これを断ったエピソードです。
この決断からは、与えられた番号に誇りを持ち、それを自分のものとして受け入れるイチローさんの姿勢が垣間見えます。
マーリンズ時代も51番を継続して使用したことは、この背番号に対するイチローさんの強い思い入れを示しています。
ヤンキースでの31番着用は特別な例外であり、それ以外のすべてのチームで51番を選び続けたことは、この番号がイチローさんのアイデンティティの重要な一部となっていたことを物語っています。
マリナーズの永久欠番とイチローの「51番」
画像引用元:TRIDENTS UP
マリナーズの永久欠番には、球団の黄金期を支えた選手たちの背番号が刻まれています。
そこに新たに加わるイチローさんの「51番」は、日本人選手として初めての快挙となりました。
マリナーズの永久欠番一覧
マリナーズの永久欠番は、これまで以下の3つでした。
- 11番:エドガー・マルティネス(2017年8月永久欠番)
- 24番:ケン・グリフィーJr.(2016年8月永久欠番)
- 42番:ジャッキー・ロビンソン(MLB全球団共通)
マリナーズの永久欠番の基準は非常に厳格で、選手は少なくとも5年間マリナーズでプレーし、殿堂入りを果たすか、キャリアの大半をマリナーズで過ごし殿堂入り投票の対象となる必要があります。
この厳しい基準をクリアし、4つ目の永久欠番となったイチローさんの「51番」は、まさに特別な意味を持つと言えるでしょう。
イチローの「51番」が永久欠番になる理由とは?
イチローさんの「51番」が永久欠番となった理由は、その圧倒的な実績にあります。
メジャーリーグでの通算3089本の安打、2004年のシーズン最多262安打の記録、10年連続200安打以上など、数々の偉業を成し遂げました。
しかし、単なる記録以上に重要なのは、イチローさんがマリナーズの歴史に残した足跡です。
2001年から2012年まで、そして2018年から2019年の引退までの計14シーズンを通じて、チームの顔として活躍し続けました。
その姿は、多くのファンの心に深く刻まれています。
個人的に印象的なのは、イチローさんが「51番」に対して持っていた責任感です。
マリナーズで「51番」を着用する際、前任者であるランディ・ジョンソンへの敬意を常に忘れることなく、その番号に新たな歴史を刻んでいった姿勢には、深い感銘を受けます。
イチローと歴代の背番号「51番」
画像引用元:livedoor News
背番号「51番」は、MLBにおいて多くの名選手が着用してきた歴史ある番号です。
その中でも、イチローさんは独自の輝きを放ち続けました。
MLBで「51番」を背負った他の選手たち
MLB史上、「51番」を着用した選手の中でも、特に印象的な4人の選手がいます。
それぞれが独自の魅力と実績で、この背番号に輝かしい歴史を刻みました。
ランディ・ジョンソン(通称”ビッグユニット”)は、208cmの長身から繰り出す速球と鋭いスライダーで打者を翻弄し続けた伝説の左腕投手です。
マリナーズとダイヤモンドバックスで「51番」を着用し、通算303勝、5度のサイヤング賞を獲得。
両チームで「51番」が永久欠番となるほどの功績を残しました。
トレバー・ホフマンは、変化球の名手として知られる名クローザーです。
パドレスで「51番」を背負い、通算601セーブという大記録を達成。
独特のチェンジアップは「ヘルズベルズ(地獄の鐘)」と呼ばれ、打者たちを悩ませ続けました。
その功績を讃えて、パドレスでも「51番」が永久欠番となっています。
バーニー・ウィリアムスは、ヤンキースの黄金期を支えた名外野手でした。
1991年から2006年までヤンキース一筋で「51番」を着用し、4度のワールドシリーズ制覇に貢献。
巧みな守備と安定した打撃で、5度のオールスターにも選出されています。
そして、イチローさん。
前述の3選手とはまったく異なるスタイルで、この背番号に新たな歴史を刻みました。
特徴的なバッティングフォームと正確無比な打撃技術、そして類まれな走力で、メジャーリーグに新たな野球の魅力を伝えました。
このように、「51番」は様々なタイプの名選手たちによって輝きを放ってきました。
投手、野手を問わず、それぞれが独自の方法でこの背番号の価値を高めていったことは、野球の魅力そのものを体現しているように感じます。
マリナーズで「51番」を背負った選手たち
画像引用元:MLB.COM
マリナーズでは主に2人の偉大な選手が「51番」を着用しました。
- ランディ・ジョンソン(1989-1998):在籍9年間で130勝を挙げ、1995年にはサイヤング賞を獲得
- イチローさん(2001-2012, 2018-2019):MVP、新人王をダブル受賞し、通算打率.321という輝かしい成績を残す
個人的に興味深いのは、両者がまったく異なるスタイルの選手でありながら、同じように偉大な功績を残したことです。
ジョンソンの圧倒的な投球とイチローさんの精緻な打撃技術は、「51番」の多様な輝きを象徴しているように感じます。
日本プロ野球と「51番」の関係
日本のプロ野球では、イチローさんの影響により「51番」は特別な意味を持つようになりました。
現在、多くの俊足巧打の選手たちが、イチローさんへの憧れを込めてこの番号を選んでいます。
- 宮﨑敏郎(DeNA)
- 小園海斗(広島)
- 上林誠知(ソフトバンク) など
特筆すべきは、オリックスでは事実上の永久欠番状態となっていることです。
これは、イチローさんの功績への敬意を表す形となっており、日本球界における「51番」の重要性を物語っています。
イチローの背番号「51番」が永久欠番になるまでの道のり
画像引用元:デイリー
イチローさんと「51番」の歴史は、まさに一つの壮大な物語と言えます。
高卒ルーキーに与えられた一つの背番号が、野球界を代表する象徴へと成長していく過程には、多くの感動的な場面がありました。
時系列で見ていくと、以下のような重要な転機がありました:
- 1992年:オリックス入団時に「51番」を割り当てられる
- 1994年:210安打達成後も「7番」への変更を辞退
- 2001年:マリナーズ入団、ランディ・ジョンソンの後継者として「51番」を継承
- 2012年:ヤンキースで「31番」を着用
- 2019年:現役引退、マリナーズでの「51番」の歴史に幕 2025年:殿堂入りと同時に永久欠番が決定
特に印象的なのは、2001年にマリナーズに入団した際の出来事です。
イチローさんは、前任者であるランディ・ジョンソンへの深い敬意を示しながら「51番」を引き継ぎ、その番号に新たな歴史を刻んでいきました。
この謙虚な姿勢こそが、後の永久欠番という栄誉につながったと感じます。
まとめ
以上が、イチローさんの「51番」永久欠番化について詳しく解説してきました。最後にポイントをかまとめたいと思います。
- オリックス入団時に与えられた「51番」を誇りに思い、ヤンキース時代を除き、生涯を通じてこの番号にこだわり続けた背番号への強い思い入れ
- MLB通算3089本の安打、シーズン最多262安打記録、10年連続200安打以上など、メジャーリーグで数々の記録を打ち立てた偉大な実績
- ランディ・ジョンソンの後継者として「51番」を継承し、14シーズンに渡って活躍したマリナーズでの功績と、4人目の永久欠番選手としての歴史的意義
- 「51番」を首位打者やヒットメーカーの象徴として確立し、日本の若手選手たちにも大きな影響を与えた野球界全体への貢献
この永久欠番決定は、イチローさんの野球に対する真摯な姿勢と、圧倒的な実績への最高の褒章と言えるでしょう。
一人の選手が背負った番号が、このように野球界全体の象徴となった例は、そう多くはありません。
イチローさんの「51番」は、これからも野球を愛する多くの人々の心の中で、特別な輝きを放ち続けることでしょう。
永久欠番という形で、その偉大な功績が永遠に記憶されることになったことを、一野球ファンとして心から嬉しく思います。