阪神タイガースの主軸として活躍する佐藤輝明選手。
強烈な打球を放つその姿は、野球ファンならずとも目を引くものがあります。
彼は新人から3年連続20本塁打というNPB左打者史上初の記録を達成するなど、その実力は折り紙付きです。
しかし、そんな佐藤輝明選手も、実は高校時代は甲子園出場経験がなく、「無名の選手」と言われていた時期もありました。
地道な努力と周囲のサポートによって才能を開花させ、今や阪神の看板選手となった佐藤輝明選手。
彼がどのようにして成長してきたのか、学生時代のエピソードから阪神入団後の活躍まで、その軌跡を追ってみましょう。
特に高校時代の驚きのエピソードや、近畿大学時代のマル秘話を交えながら、佐藤輝明選手の魅力に迫ります。
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佐藤輝明のプロフィール
画像引用元:阪神タイガーズ公式
まずは佐藤輝明選手の基本情報を紹介します。
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佐藤輝明選手は1999年生まれの兵庫県西宮市出身で、現在26歳になります。
阪神タイガースに所属する右投げ左打ちの強打者で、主に三塁手と外野手を務めています。
2020年のドラフト会議では4球団競合の末、阪神タイガースから1位指名を受けて入団しました。
プロ入り後はその長打力で一躍注目を集め、新人左打者最多本塁打記録(24本)をはじめ、NPB史上初となる左打者の新人から3年連続20本塁打達成など、数々の記録を樹立してきました。
Zポーズでも知られるアイドルグループ「ももいろクローバーZ」の熱狂的ファンとしての一面も持ち、多くのファンから親しまれています。
佐藤輝明の学歴
佐藤輝明選手の学生時代を振り返ってみたいと思います。彼の野球人生は小学校時代から始まっていました。
西宮市立甲東小学校時代
画像引用元:日刊スポーツ
佐藤輝明選手は西宮市立甲東小学校に通っていました。
野球との出会いは小学1年生の時で、地元の少年野球チーム「甲東ブルーサンダース」に入団したことがきっかけです。
この頃から野球の才能を発揮していたようで、小学6年生の時には阪神タイガースジュニアに選出されました。
当時から運動神経は抜群だったようで、同級生からは「運動神経の塊」と評されていたそうです。
少年野球時代は捕手として、元ソフトバンクの城島健司選手モデルのミットに日の丸を描いてプレーしていたというエピソードもあります。
サッカーも非常に上手く、テレビやゲームで見た動きをすぐに体現できたという逸話も残っています。
幼い頃から周囲を驚かせる身体能力の持ち主だったんですね!
西宮市立甲陵中学校時代
画像引用元:日刊スポーツ
続いて西宮市立甲陵中学校に進学した佐藤輝明選手は、軟式野球部に所属し、主に投手や捕手として活躍していました。
ただ、興味深いことに、この頃は野球への熱意がやや薄れていた時期もあったそうです。
実は中学2年秋の新人戦では「8番・右翼」で起用された経験もあり、周囲からあまり注目される選手ではなかったようです。
しかし、幼なじみによると、そんな時も佐藤輝明選手は文句一つ言わず黙々と練習に取り組んでいたとのこと。
この真面目な姿勢が後の大成につながっていったのでしょう。
中学卒業時には、高校でサッカー部への入部も検討していたという意外なエピソードもあります。
もし彼がサッカーの道を選んでいたら、野球界の大きな損失になっていたかもしれませんね。
仁川学院高校での成績と裏話
画像引用元:スポニチSponichiAnnex
佐藤輝明選手が進学したのは、甲子園出場経験のない仁川学院高等学校でした。
意外にも彼は「家から近い」というシンプルな理由でこの学校を選んだそうです。
入学当初は野球を続けるかサッカー部に入るか迷っていたほどで、プロ野球選手を目指すという明確な目標はまだ持っていませんでした。
入学時の佐藤輝明選手について、同級生で後にエースとなる桑田理介選手は「思ったより小さいな」という第一印象を持ったと語っています。
当時の身長は170cmほどで、体つきもまだ細かったようです。
しかし、高校2年生の秋から取り組み始めたウエイトトレーニングが彼の人生の転機となります。
同級生で親友の高取真祥さんの父である君己さんの勧めとサポートを受け、ジム通いや食事管理、プロテイン摂取などを徹底した結果、わずか3ヶ月で体重を20kg近く増やすという驚異的な肉体改造に成功しました。
高校3年間で身長は約10cm伸び、体重は約30kg増加したといいます。
このフィジカルアップに伴い、佐藤輝明選手の長打力は劇的に向上。
高校通算20本塁打のうち、実に15本を3年生になってからの春から引退までのわずか4ヶ月間で量産したのです。
彼の高校時代を語る上で欠かせないのが、あまりにも有名な「3階窓ガラス破壊弾」のエピソードです。
練習中にスタンドティーで打った打球が、グラウンドから約100メートル離れた校舎の3階の窓ガラスを直撃し破壊したというのです。
校舎の2階までは防球ネットが張られていましたが、それを遥かに越える打球でした。
当時野球部の監督だった中尾和光部長は、その報告を受けても叱るどころか「すげえな、ナイスバッティングやな」と感嘆したといいます。
この規格外のパワーは対戦相手からも注目され、練習試合の相手からは「仁川学院に一人だけ大学生みたいな選手がいる」と噂されるほどでした。
しかし、甲子園出場は叶わず、彼の最後の夏となった2016年の第99回全国高校野球選手権兵庫大会は、初戦で明石清水高校に1-11で5回コールド負けという結果に終わりました。
この試合で佐藤輝明選手は4番として出場し、3打数2安打と奮闘しましたが、チームを勝利に導くことはできませんでした。
この敗戦が佐藤輝明選手にとって大きな転機となり、「将来何をしようかと思った時にプロ野球選手が面白そうだな、と。根拠のない自信みたいなものが出てきて、頑張ればなれるんじゃないかと思った」と、本格的にプロ野球選手を目指すようになったそうです。
近畿大学での活躍とマル秘エピソード
画像引用元:Sportiva
高校卒業後、佐藤輝明選手は近畿大学に進学します。
実は高校3年生の夏前頃に参加した同大学の練習で田中秀昌監督の目に留まり、その潜在能力を高く評価されたことが進学の決め手となりました。
当初は短期大学部に在籍し、後に経営学部に3年次編入した佐藤輝明選手。
1年生の春からリーグ戦に出場し、レギュラーとして活躍しました。
1年秋には4番を任されるなど、早くからチームの中軸を担ったのです。
関西学生野球リーグでの活躍は目覚ましく、4年生の秋には二岡智宏選手(元巨人)の持っていたリーグ戦通算13本塁打の記録を更新する14本目の本塁打を放ち、新記録を樹立しました。
リーグMVPを2度(2年秋、4年秋)獲得し、ベストナインも3季連続で受賞するなど、大学リーグを代表する選手として名を馳せました。
大学2年生時には、日米大学野球選手権大会やハーレムベースボールウィーク(国際大会)の日本代表に選出され、国際舞台でもその才能を示しました。
そんな佐藤輝明選手のマル秘エピソードとしては、食事とトレーニングへの並々ならぬこだわりがあります。
野球部の寮食だけでは満足せず、栄養バランスを考えてスーパーで惣菜や野菜などを購入し、足りない栄養を補っていたそうです。
サプリメントやプロテインにも詳しく、チームメイトにアドバイスすることもあったようです。
また、トレーニングへの取り組みも並外れたものでした。
近畿大学のトレーニングルームでの懸垂の回数は凄まじく、94kgの体重で何十回もこなしていたと田中監督が証言しています。
さらに、深夜2時に夜食を食べる姿が目撃されるなど、「深夜メシ伝説」も語られています。
そして意外な一面として、寮の自室ではあまり外に出ないタイプだったものの、「ももいろクローバーZ」のライブ映像を見て一人で盛り上がっていたというエピソードも。
プロ入り後の「Zポーズ」の原点がここにあったんですね!
近畿大学の田中監督は佐藤輝明選手を「マイペース」と評し、「周りに左右されない性格がプロの世界にマッチしているのかもしれない」と語っています。
打席に立つと10年選手のような風格があったとも言われています。
また、同じ近畿大学出身で阪神の大先輩である糸井嘉男選手との縁も興味深いエピソードです。
佐藤輝明選手が1年生の時、全国大会に出場するチームに糸井嘉男選手がTシャツを作ってプレゼントしたことがあり、「そんなことしてくれるんや!ってすごい印象に残っています」と語っています。
佐藤輝明選手にとって糸井嘉男選手は小学生の頃からの憧れのスターであり、その背中を追いかける存在だったのです。
阪神タイガース入団後の活躍

新入団記者会見でポーズをとる阪神の佐藤輝明内野手=7日、大阪市内のホテル
画像引用元:日刊ゲンダイ
2020年のプロ野球ドラフト会議において、佐藤輝明選手は福岡ソフトバンクホークス、オリックス・バファローズ、読売ジャイアンツ、阪神タイガースの4球団から1位指名を受ける大注目の選手でした。
抽選の結果、阪神タイガースが交渉権を獲得し、契約金1億円プラス出来高5000万円、年俸1600万円(推定)で入団契約を結びました。
2021年のルーキーシーズンから、佐藤輝明選手はその実力を遺憾なく発揮します。
開幕戦から「6番・右翼手」で先発出場し、プロ初打席で犠牲フライによる初打点を記録。
プロ2戦目では田口麗斗投手(当時ヤクルト)からプロ初安打となる初本塁打を放ちました。
シーズンを通してその長打力を発揮し、最終的に24本塁打を記録。
これはNPBにおける新人左打者最多本塁打記録であり、球団新人最多本塁打記録も更新するものでした。
また、新人選手による1試合3本塁打(長嶋茂雄氏以来63年ぶり、球団史上初)、交流戦新人最多本塁打(6本)など、数々の記録を樹立しました。
その活躍が評価され、セ・リーグ新人特別賞を受賞し、オールスターゲームにもファン投票で選出されています。
2022年には開幕戦に「4番・右翼手」で出場し、球団史上最年少での開幕4番打者となりました。
全143試合に出場し、打率.264、20本塁打、84打点を記録。新人から2年連続20本塁打は球団史上3人目、左打者では初の快挙でした。
2023年シーズンはさらなる飛躍を遂げます。
シーズン序盤は不振も経験しましたが、夏場以降に調子を上げ、最終的に132試合に出場し、打率.263、24本塁打、自己最多となる92打点を記録。
NPB史上初となる左打者の新人から3年連続20本塁打を達成しました。
さらに、チームのリーグ優勝と日本一にも大きく貢献したのです。
9・10月度には月間MVPを受賞し、アジアプロ野球チャンピオンシップでは日本代表として金メダル獲得にも貢献しました。
2024年は120試合に出場し、打率.268、16本塁打、70打点を記録。
シーズン途中に不調で二軍降格も経験しましたが、復帰後はチームに貢献しました。
新人から4年連続2桁本塁打と100安打を達成し、これは球団史上初の記録となっています。
まとめ
以上が、佐藤輝明選手の学生時代から現在までの軌跡を振り返り、詳しく解説してきました。最後に佐藤輝明選手の成長の過程についてポイントを簡単にまとめたいと思います。
- 小学1年生で野球を始め、6年生で阪神タイガースジュニアに選出
- 中学時代は軟式野球部で投手や捕手を務める
- 高校2年秋からのウエイトトレーニングで長打力が劇的に向上
- 仁川学院高校時代に「3階窓ガラス破壊弾」の伝説を残す
- 甲子園出場経験はないが、高校通算20本塁打を記録
- 近畿大学では関西学生野球リーグの通算本塁打記録を更新
- ドラフト1位で阪神入団後、新人左打者最多本塁打記録を樹立
- NPB史上初の左打者による新人から3年連続20本塁打を達成
佐藤輝明選手の野球人生は、決して順風満帆ではありませんでした。
高校時代は甲子園出場が叶わず、「無名の選手」と言われることもありました。
しかし、諦めずに自分を磨き続け、周囲のサポートも受けながら、今や阪神の中心選手にまで成長しました。
その道のりには、地道な努力と情熱があったからこそ、今の輝かしい成績があるのです。
彼の打席に立つ姿に、多くのファンが魅了され続けるのも納得です。
これからも佐藤輝明選手の活躍から目が離せません。
特に2025年は開幕から好調な滑り出しを見せており、自己最高の成績を更新する可能性も十分にあります。
阪神タイガースの中心選手として、そして日本を代表するスラッガーとして、彼のさらなる飛躍に期待したいと思います。