2025年シーズンから阪神タイガースの監督に就任した藤川球児さんについて、「双子なの?」という疑問を持つ野球ファンは少なくありません。
結論から申し上げると、藤川球児さんは双子ではありません。
彼には1学年上の兄・藤川順一さんがいます。
この誤解が生まれた背景には、高知商業高校時代に兄弟でバッテリーを組み、1997年夏の甲子園大会で「ツインバッテリー」として大きな話題を呼んだことがあります。
当時のメディア報道や野球ファンの印象が、長年にわたって「双子説」として語り継がれてきたのでしょう。
藤川球児さんの家族構成は4人兄弟で、兄の順一さんをはじめ、2人の妹もいる大家族です。
特に兄の順一さんは、球児さんの野球人生において精神的な支柱として重要な役割を果たしてきました。
今回は、藤川球児さんと兄・順一さんの深い絆や、甲子園での活躍について詳しく探っていきます。
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藤川球児が双子と噂が広まった理由は?
画像引用元:日刊スポーツ
藤川球児さんが双子だという噂が広まった最大の理由は、1997年夏の甲子園大会での兄弟バッテリーにあります。
当時、高知商業高校2年生だった球児さんが投手を務め、3年生の兄・順一さんが捕手として組んだバッテリーは「ツインバッテリー」と呼ばれました。
メディアでは連日この兄弟バッテリーが取り上げられ、全国の野球ファンから注目を集めたのです。
「ツイン」という言葉が使われたことで、多くの人が「双子なのだろう」と勘違いしてしまったのかもしれません。
実際には1学年差の兄弟でしたが、当時のインパクトが非常に強かったため、この印象が長く残り続けています。
また、甲子園では過去にも双子バッテリーが出場した例があり、そうした記憶と混同されている可能性もあります。
藤川兄弟の場合は血のつながった兄弟ではありますが、双子ではなく年齢差のある兄弟だったのです。
この誤解は現在でも一部で続いており、改めて正確な情報を知っておくことが大切でしょう。
藤川球児の兄・藤川順一
画像引用元:スポーツ報知
藤川球児さんの兄である順一さんは、弟の野球人生に大きな影響を与えた人物です。
球児さんが野球を始めたきっかけも、実は兄の影響によるものでした。
順一さんの存在なくして、現在の藤川球児さんの成功はなかったといっても過言ではありません。
藤川順一さんはどんな選手?
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藤川順一さんは、高知商業高校時代に捕手として活躍した選手でした。
1997年夏の甲子園では3年生として出場し、2年生の弟・球児さんとバッテリーを組んで全国的な話題となりました。
順一さんは球児さんの剛速球を受け止める重要な役割を担い、チームを2回戦まで導いています。
当時の球児さんについて順一さんは「ひいき目なく、すごかった」と評価していました。
特に印象的だったのは直球の威力で、「何しろ直球がバットに当たらない」と振り返っています。
しかし、球児さんは登板翌日に肘が曲がったまま登校するほど体への負担が大きく、順一さんはそうした弟の様子を心配そうに見守っていたそうです。
兄弟は幼少期に柔道を習っていましたが、球児さんが「野球をやる」と言い出したため、順一さんも小学4年生から野球を始めることになりました。
このエピソードからも、順一さんがいかに弟思いの性格であったかがうかがえます。
高校卒業後の経歴は?
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藤川順一さんは高校卒業後、まず会社員として働き始めました。
2002年頃に高知に帰郷し、親族が経営する介護施設で勤務していました。
その後、2007年10月に独立リーグの高知ファイティングドッグスの球団代表兼ゼネラルマネージャー(GM)に就任しています。
GM就任時には「球児も協力してくれると思う。いい意味で力を使っていきたい」と語り、弟の知名度を活用してチーム運営に取り組みました。
球児さんも「大阪からだと日帰りができるので、できることはしていく」と兄の活動に協力を約束していたそうです。
順一さんの手腕もあり、2009年には高知ファイティングドッグスが独立リーグ日本一に輝く成果を上げました。
GM辞任後は六本木で「じゅーく」という餃子居酒屋を経営していました。
地元高知の土佐餃子を提供するお店で、ダルビッシュ有選手もブログで訪問したことを紹介していたほどです。
現在は保険業に従事しているとの情報もありますが、弟のマネージャーとしても活動しているといわれています。
弟・球児との兄弟の絆
藤川順一さんと球児さんの兄弟の絆は、単なる家族愛を超えた深いものがあります。
順一さんは球児さんのプロ野球人生全体を通じて、精神的な支えとなり続けてきました。
特に印象的なのは、2013年に球児さんがアメリカでトミー・ジョン手術を受けた際のエピソードです。
順一さんはフロリダ州まで立ち会い、医師から肘の中から取り出された5、6個の遊離軟骨を見せられました。
その時の衝撃を順一さんは「骨に肉が巻き付いて、できるだけ内部に傷がつかないように守っていて、必死に戦ってきた爪痕のように感じました」と語っています。
この言葉からは、弟への深い愛情と理解が伝わってきます。
球児さんの長い現役生活について順一さんは「球児がここまで長く現役を続けるとは想像できませんでした」と驚きを示しながらも、「藤川家、兄としても、彼の頑張りが励みになりました」と誇らしげに語っています。
引退時にも「まだお疲れ様は言いません。もう一度チーム、阪神ファン、高知県民のために1軍で投げている姿を見せてほしいです」と、最後まで弟を信じ続ける姿勢を見せました。
藤川球児と兄・順一と甲子園で兄弟バッテリー
画像引用元:スポニチSponichiAnnex
1997年夏の甲子園大会は、藤川兄弟にとって忘れられない舞台となりました。
高知商業高校として出場したこの大会で、3年生の順一さんが捕手、2年生の球児さんが投手として兄弟バッテリーを組み、全国の野球ファンを魅了したのです。
当時の球児さんはまだ公式戦での登板経験が少なく、順一さんによると「高校2年の4月まで公式戦では全然投げていませんでした」という状況でした。
しかし、甲子園という大舞台で見せた剛速球は圧巻で、順一さんも「ひいき目なく、すごかった」と評価しています。
特に印象的だったのは直球の威力で、バッターがほとんど当てることができなかったそうです。
この兄弟バッテリーは「ツインバッテリー」として連日メディアで取り上げられ、大きな話題となりました。
チームは1回戦を突破し、2回戦まで進出する健闘を見せています。
順一さんにとっても球児さんにとっても、この甲子園での経験は人生の宝物となったに違いありません。
ただし、球児さんの体への負担は相当なものでした。
登板翌日には肘が曲がったまま登校するほどで、順一さんはそうした弟の様子を心配そうに見守っていたといいます。
このエピソードからも、兄弟の深い絆と順一さんの弟への思いやりが伝わってきます。
現在の藤川球児さんの原点は、まさにこの甲子園での兄弟バッテリーにあるのです。
藤川球児の家族構成
藤川球児さんの家族構成について詳しく見ていきましょう。球児さんは4人兄弟の次男として生まれ、温かい家庭環境の中で育ちました。
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藤川球児さんの父親である昭一さんは、高知商業高校出身の野球経験者でした。
「球児」という名前の由来も印象的で、昭一さんが草野球でノーヒットノーランを達成した翌日に球児さんが生まれたことから名付けられています。
昭一さんは実業家として介護事業や釣り具製造販売、うどん屋経営など多方面で活動していました。
母親の文子さんは、球児さんが幼少期に喘息で苦しんでいた際、夜中に自転車で病院に連れて行くなど献身的に支えました。
幼少期に両親が離婚し、文子さんが4人の子どもを育てる母子家庭となりましたが、常に明るい家庭だったといわれています。
現在の家族構成
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藤川球児さんは2000年に高校時代から交際していた英子さんと結婚しました。
英子さんは球児さんの偏食を克服させるため「好き嫌い克服レシピ」を考案するなど、現役時代から献身的に支えてきた存在です。
長男の温大さんは2001年11月30日生まれで、現在22歳。
過去に野球をしていましたが現在は続けておらず、大学には進学せずバスプロとして活動しています。
球児さんの引退試合では始球式を務めるなど、父親との絆も深いようです。
長女の絢英さんは現在21歳で、2019年9月からアメリカに留学中です。
球児さんの引退時にはサプライズメッセージを送り、メジャーリーグでの経験からグローバルに働きたいと語っていました。
次女については名前や詳細は公表されていませんが、現在17歳の高校生とのことです。
まとめ
以上が、藤川球児さんが双子と噂された真相と、兄の順一さんとの「ツインバッテリー」での活躍について詳しく解説してきました。
最後に簡単にポイントをまとめたいと思います。
- 藤川球児さんは双子ではなく、1学年上の兄・順一さんがいる
- 「双子説」は1997年甲子園での「ツインバッテリー」報道が原因
- 兄・順一さんは球児さんの野球人生を精神的に支え続けた存在
- 甲子園での兄弟バッテリーは全国的な話題となった
- 藤川家は4人兄弟の大家族で、現在は妻と3人の子どもがいる
藤川球児さんが双子だという噂は、高知商業高校時代の兄弟バッテリーが「ツインバッテリー」として話題になったことが原因でした。
実際には1学年上の兄・順一さんとのコンビで、この兄弟の絆は現在も続いています。
特に印象深いのは、順一さんが球児さんのトミー・ジョン手術の際にアメリカまで立ち会ったエピソードです。
医師から見せられた遊離軟骨を「必死に戦ってきた爪痕」と表現した順一さんの言葉からは、深い兄弟愛が感じられました。
藤川球児さんの野球人生は、家族の支えがあってこそ成り立っていたのです。
2025年から阪神タイガースの監督として新たなスタートを切る球児さんを、今後も温かく見守っていきたいと思います。
兄弟の絆に支えられた球児さんの指導者としての活躍にも、大いに期待が寄せられるところです。