2025年、佐々木朗希選手がロサンゼルス・ドジャースでワールドシリーズ制覇に貢献した裏には、専属トレーナーとして支え続けた理学療法士の伊藤憲生さんの存在がありました。
日本人理学療法士として初めてMLB球団に直接雇用されるという快挙を成し遂げた伊藤憲生さんは、どのような経歴を持ち、ドジャースでどんな役割を果たしているのでしょうか。
本記事では、佐々木朗希選手を支える伊藤憲生さんのキャリアと、メジャーリーグでの活躍について詳しくご紹介します。
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佐々木朗希の専属トレーナー
画像引用元:四国放送
佐々木朗希選手がメジャーリーグに挑戦する際、一緒に渡米したのが理学療法士の伊藤憲生さんです。
2024年オフ、千葉ロッテマリーンズからポスティング制度でメジャー移籍を目指していた佐々木朗希選手から「一緒にアメリカへ来てほしい」と直接依頼を受けたことがきっかけでした。
当時、伊藤憲生さんはロッテでリハビリ部門のチーフトレーナーという重責を担っていましたが、迷うことなく佐々木朗希選手との渡米を決断します。
選手から指名されるほどの信頼関係を築いていたことは、伊藤憲生さんの人間性と専門性の高さを物語っているでしょう。
2025年シーズンから、伊藤憲生さんはドジャースのアシスタント・フィジカルセラピストとして活動を開始しました。
日本人理学療法士がMLB球団に直接雇用されるのは史上初の出来事であり、プロスポーツ界における大きな一歩となっています。
佐々木朗希選手の陰で、世界最高峰の舞台を支える日本人トレーナーの存在は、多くの若手療法士に希望を与えているのではないでしょうか。
理学療法士の伊藤憲生の経歴
画像引用元:Yahoo!ニュース
伊藤憲生さんがどのようにして世界の頂点に立つことになったのか、そのキャリアを振り返ってみましょう。
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伊藤憲生さんは愛媛県今治市で生まれ、今治東高校を経て徳島文理大学に進学しました。
理学療法士としての道を歩み始めた彼のキャリアは、決してエリート街道ではなく、地道な努力の積み重ねによって築かれていきます。
学歴とキャリア
伊藤憲生さんが理学療法士を目指すようになったのは、大学在学中のことです。
徳島文理大学保健福祉学部理学療法学科で学ぶ中で、将来への明確なビジョンを描くようになりました。
大学2年生の頃、伊藤憲生さんは「プロ野球のトレーナーになりたい」と周囲に公言し、自ら退路を断つという選択をしています。
この決断が、その後のキャリアを大きく左右することになるのです。
目標を明確にして周囲に宣言することで、自分を追い込んでいく姿勢は素晴らしいですね。
大学3年時からは、現在学科長を務める鶯春夫教授のゼミに所属しました。
恩師である鶯教授からは「とにかく行動すること」「学会発表や論文など、目に見える形で発信すること」という指導を受けます。
この教えは、伊藤憲生さんの人生における重要な指針となりました。
在学中には「投球動作におけるステップの違いが肩関節に及ぼす影響」をテーマにした卒業研究に取り組んでいます。
すでに野球への強い関心と、科学的なアプローチへの探求心を持っていたことが分かるでしょう。
2016年度に大学を卒業し、理学療法士としての第一歩を踏み出しました。
臨床経験と専門性の確立
画像引用元:新三河タイムス社
大学卒業後、伊藤憲生さんは愛知県豊田市にある吉田整形外科病院に入職します。
恩師の教えに従い、あえて「一番厳しい環境」を選んだといいます。
ここで約7年間、理学療法士としての基礎を徹底的に叩き込まれることになりました。
病院では、当時リハビリテーション科の課長だった中宿伸哉氏(現・徳島文理大教授)の下で修業を積みました。
伊藤憲生さん自身が「1年目の学会発表資料が真っ赤に修正された」と振り返るほど、厳しい指導を受けたそうです。
しかし、この経験が彼の基礎体力を作り上げました。
病院勤務の傍ら、休日には高校野球チームや社会人スポーツチームにボランティアトレーナーとして関わっています。
臨床現場での知識を実際のスポーツ現場で活かし、経験を積み重ねていく姿勢は見習いたいものです。
この期間に伊藤憲生さんは、愛知県理学療法学術大会や整形外科リハビリテーション学会など、数々の学会で発表を重ねました。
論文執筆やエコー技術の習得にも励み、理学療法士としての「武器」を次々と増やしていきます。
また、運動器/スポーツ認定理学療法士やNSCA-CSCSといった難関資格も取得しました。
これらの実績が、後にプロ野球界への扉を開くことになります。
プロ野球界への挑戦
画像引用元:城西国際大学
約7年間の臨床経験を積んだ伊藤憲生さんは、学生時代からの夢であったプロ野球トレーナーへの挑戦を決意します。
2022年、千葉ロッテマリーンズがトレーナーの公募を実施していることを知り、応募しました。
この公募は想像を絶する難関でした。たった1名の採用枠に対して、約180名もの応募があったといいます。
選考は書類審査から始まり、実技試験や面接を含む5次試験まで実施されるほど厳格なものでした。
伊藤憲生さんは一度不合格を経験しながらも、諦めずに再挑戦しています。
「どうしてもこの仕事がしたい」という熱意と、吉田整形外科病院で培った臨床能力、そして恩師の教え通りに積み重ねてきた学会発表や資格が評価され、2023年1月からの採用が決まりました。
夢を諦めずに挑戦し続ける姿勢には、心を打たれます。
ロッテでは1年目からチームに帯同し、トップアスリートたちの鋭い感覚や高い自己管理能力に対応するための知識と技術を磨きました。
2024年シーズンにはリハビリ部門のチーフトレーナーという要職を任されています。
この2年間で、特に佐々木朗希選手との深い信頼関係を築いたことが、次のステージへの扉を開くことになりました。
メジャーへの挑戦
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2024年シーズン終了後、伊藤憲生さんは球団に退団の意向を伝えます。
そのタイミングで、佐々木朗希選手から予想もしなかった言葉をかけられました。「一緒にアメリカへ行ってもらえますか?」
安定したプロ球団の職を離れ、未知の世界へ飛び込むことは大きな決断でした。
しかし伊藤憲生さんは迷わず、佐々木朗希選手とともに渡米する道を選びます。
選手から直接依頼されるほどの信頼を得ていたことは、彼の仕事への姿勢と人柄を表しているのではないでしょうか。
こうして2025年、伊藤憲生さんはロサンゼルス・ドジャースに加入しました。日本人理学療法士としてMLB球団に直接雇用される初のケースとなり、スポーツ医療の歴史に新たな一ページを刻んでいます。
恩師の教えを守り、地道に実績を積み重ねてきたからこそ、世界最高峰の舞台に立つチャンスを掴んだといえるでしょう。
伊藤憲生のドジャースでの役割
世界一のチームで、伊藤憲生さんはどのような役割を担っているのでしょうか。
ドジャースでの活動内容を見ていきましょう。
伊藤憲生さんの主な職務は、選手の身体機能を評価し、パフォーマンスを最適化することです。
彼は「理学療法士として選手にできることは、個々の特性に応じた身体評価をして、痛みのない体を作ること」と語っています。
特筆すべきは、伊藤憲生さんが持つ「身体機能がメンタルを支える」という哲学です。
一般的には「心技体」という言葉があるように、精神面が重視されがちですが、伊藤憲生さんは違う視点を持っています。
「メンタルで解決できることは意外と少ない。身体機能と技術があってこそ、メンタルは安定する」という考え方は、理学療法士ならではの視点ですね。
選手が不調に陥ったとき、安易に「メンタルの問題」として片付けるのではなく、投球フォームの崩れや身体機能の低下を一つひとつ紐解いていく。
そして修正することで、結果として精神状態も安定し、パフォーマンスが戻っていくというアプローチを取っています。
佐々木朗希のサポート
画像引用元:full-Count
伊藤憲生さんの最も重要な役割は、佐々木朗希選手の専属トレーナーとしての仕事です。
2025年シーズン、佐々木朗希選手は開幕2戦目で先発を任されるなど、大きな期待を背負っていました。
しかし5月、佐々木朗希選手は右肩インピンジメント症候群で離脱してしまいます。
伊藤憲生さんにとって、最も苦しい期間の始まりでした。
彼は後に「この3ヶ月は、理学療法士になってから一番しんどかった」と振り返っています。
伊藤憲生さんは付きっきりで佐々木朗希選手のリハビリをサポートしました。
1時間以上かけて徹底的な身体評価を行い、肩の問題だけでなく、全身の機能がどこまで崩れているのかを丁寧に説明しながら対応したといいます。
選手とのコミュニケーションを密に取り、不調の原因を一つひとつ突き止めていったのです。
その結果、佐々木朗希選手は9月にリリーフとして見事にメジャー復帰を果たします。
伊藤憲生さんのサポートがなければ、この復活劇は実現しなかったでしょう。
選手との信頼関係と、専門性の高さが結実した瞬間でした。
2025年シーズンの貢献度
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復帰後の佐々木朗希選手の活躍は目覚ましいものがありました。
ポストシーズンでは9試合に登板し、3セーブ2ホールドという大車輪の活躍を見せています。
チームのワールドシリーズ制覇に大きく貢献する結果となりました。
伊藤憲生さんは、この激動のシーズンを振り返って「誰もが諦めるような状況でも諦めない佐々木朗希選手の探求心に刺激を受けた」と語っています。
選手をサポートすることに日々感謝の気持ちを持ちながら仕事をしていると述べており、その謙虚な姿勢が印象的です。
ドジャースでの1年目で、伊藤憲生さんはワールドシリーズチャンピオンを経験するという快挙を成し遂げました。
大谷翔平選手やレジェンドのカーショウ選手といった世界最高峰の選手たちとともに戦い、「選手たちの日々の準備や陰の努力を目の当たりにして勉強させてもらった」と語っています。
世界一のチームで、世界一の準備をする選手たちを支える。
それが伊藤憲生さんの役割であり、彼はその責任を見事に果たしたといえるでしょう。
オフシーズンには母校の徳島文理大学で講演も行い、自身の経験を後進に伝える活動にも力を入れています。
プロフェッショナルとして活躍しながら、次世代を育てる姿勢も素晴らしいですね。
まとめ
伊藤憲生さんは、徳島文理大学での学びから吉田整形外科病院での修業、千葉ロッテマリーンズでの経験を経て、ロサンゼルス・ドジャースでアシスタント・フィジカルセラピストとして活躍しています。
佐々木朗希選手の専属トレーナーとして怪我からの復活を支え、ワールドシリーズ制覇に貢献しました。
日本人理学療法士として初のMLB球団直接雇用という偉業を成し遂げた彼の挑戦は、多くの若手療法士に夢と希望を与え続けています。

