プロ野球選手として阪神タイガースで活躍する才木浩人選手。
昨今のピッチングに目を見張るファンも多いのではないでしょうか。
そんな才木浩人選手を支える家族の存在は、彼の野球人生において大きな影響を与えています。
父親の昭義さんは川崎重工業で活躍したエンジニアであり、母親の文子さんは元ハンドボール選手として国体に出場した経験を持つアスリート。
さらに3歳年上の兄・智史さんも野球経験者として才木浩人選手に大きな影響を与えてきました。
本記事では、才木浩人選手を育んだ家族構成や、両親の教育方針、さらには家族とのエピソードなどを紹介します。
プロ野球選手として高いメンタルと技術を持つ才木浩人選手の背景には、どのような家族の絆があったのでしょうか。
彼のプレーを応援する上で、ぜひ知っておきたい家族の物語をお届けします。
Contents
才木浩人選手の家族構成
才木浩人選手の家族は、父親・母親・兄の4人家族です。
それぞれがユニークな経歴を持ち、才木浩人選手の成長に大きく関わってきました。
彼の実家は兵庫県神戸市西区にあり、家族の強い絆で結ばれています。
父:昭義さんは川崎重工業の元エンジニア
画像引用元:日刊スポーツ
才木浩人選手の父親である昭義さんは、川崎重工業株式会社で活躍したエンジニアです。
技術開発本部副本部長やシステム技術開発センター長、執行役員などの要職を歴任した実力者でした。
特に、関西国際空港のバゲージハンドリングシステム(手荷物自動搬送・仕分けシステム)の開発に携わるなど、国家的プロジェクトにも参画していたことは注目に値します。
昭義さんは寡黙な性格ですが、息子の才木浩人選手の教育には独自のアプローチを取っていました。
例えば、才木浩人選手が中学時代に英語に苦手意識を持っていた際には、野球に関連した英単語帳を手作りするなど、息子の興味を引き出す工夫をしていたそうです。
昭義さんは、仕事で海外出張も多く、才木浩人選手のプロ初勝利の試合は残念ながら現地で観戦できなかったというエピソードもあります。
本人は運動はあまり得意ではなかったようですが、エンジニアとしての緻密さと論理的思考は、息子の才木浩人選手に継承されているのかもしれません。
母:文子さんは元ハンドボールの国体選手
画像引用元:デイリースポーツ
才木浩人選手の母親である文子さんは、旧神戸市立赤塚山高校(現・神戸市立六甲アイランド高等学校)から大阪体育大学へ進学し、ハンドボール選手として活躍していました。
国体にも出場経験があるという、れっきとしたアスリートです。
文子さんの教育方針は「小さい頃から決して甘やかさなかった」というもので、スポーツの世界で培った精神力を、息子の才木浩人選手の育成にも活かしていました。
文子さんは才木浩人選手に野球かサッカーをさせたいと考えていたそうですが、最終的に野球を選んだのは、兄が既に野球をしていたことや、近所に野球チームがあったことも大きかったようです。
国体出場経験を持つアスリートの母親から受け継いだ精神力が、才木浩人選手の怪我からの復帰や、プロの世界での活躍を支える大きな力になっているのではないでしょうか。
兄:智史さんも野球経験者
画像引用元:X
才木浩人選手には3歳年上の兄・智史さんがいます。
智史さんも野球経験者で、大学(上武大学と報じられています)まで野球を続けていました。
ポジションも才木浩人選手と同じ投手だったそうです。
智史さんの存在は才木浩人選手の野球人生において非常に大きく、才木浩人選手が野球を始めるきっかけになったと言われています。
兄弟で同じスポーツに打ち込む姿は、互いに切磋琢磨する良い関係を築いていたのでしょう。
現在、智史さんは社会人として生活していますが、SNSなどを通じて弟である才木浩人選手の活躍を熱心に応援しています。
興味深いのは、智史さんもトミー・ジョン手術を受けた経験があるとのこと。
才木浩人選手も同じ手術を経験しており、怪我との闘いや復帰への道のりを共有できる存在として、兄弟の絆はさらに深まったのではないでしょうか。
才木浩人選手の両親の教育方針は?
画像引用元:スポニチSponichi
才木浩人選手の両親は、それぞれの個性を活かした教育方針で息子を育ててきました。
エンジニアとしての論理的思考を持つ父親と、アスリートとしての精神力を持つ母親が、それぞれの視点から才木浩人選手の成長を支えてきたことが伺えます。
父親・昭義さんの教育方針は、子供の興味に寄り添うサポートが特徴的です。
前述の通り、才木浩人選手が英語に苦手意識を持っていた際には、野球に関連した英単語帳を作成するなど、息子の興味を引き出す工夫をしていました。
また、才木浩人選手がプロ入りを決意した際には、当初は大学進学を勧め、身体を大きくしてからの方が良い、プロを辞めた後のために大卒の学歴があった方が良いという考えから反対したものの、最終的には「目の前のチャンスに挑戦したい」という才木浩人選手の強い意志を尊重しました。
慎重派である昭義さんは、最悪の事態を想定して行動できる人物だと才木浩人選手自身が語っており、この性格は才木浩人選手とは対照的だったようです。
異なる性質を持つ父親の存在が、才木浩人選手に多角的な視点をもたらしたのかもしれません。
一方、母親・文子さんの教育方針は「小さい頃から決して甘やかさなかった」というもので、愛情深い厳しさが根幹にありました。
特に印象的なのは、才木浩人選手が怪我で苦しんだ時期の対応です。
心配する言葉をかけるのではなく、「大丈夫」「生きてる」「歩ける」と声をかけ、本人の負けず嫌いな性格を理解して奮起を促す形で静かに見守り続けたそうです。
文子さんは「心配すると気持ちが落ちる。奮起させた方が良いタイプ」と才木浩人選手の性格を熟知していました。
また、「牛のしっぽになるな、鶏のとさかになれ(大きな集団の後ろにつくのではなく、自分が集団を引っ張れ)」と諭し、主体性やリーダーシップを育むことも重視していたようです。
才木浩人選手が小学生の頃、期待のプレッシャーから円形脱毛症になった際には「やめてもいいよ」と声をかけたというエピソードもあります。
しかし、本人の意思で野球を続け、乗り越えたとのこと。
子供の意思を尊重しながらも、精神的な強さを育む文子さんの教育姿勢が垣間見えるエピソードです。
このように、昭義さんと文子さんの教育方針は、才木浩人選手の精神的な強さ、負けず嫌いな性格、そして目標に向かってストイックに取り組む姿勢を育んだと言えるでしょう。
両親のバランスの取れた教育が、プロ野球選手として活躍する才木浩人選手の基盤となっていることは間違いありません。
才木浩人選手の家族との関係
才木浩人選手の家族関係は非常に良好であると伝えられています。
実家には才木浩人選手の阪神タイガース関連グッズが数多く飾られており、家族の応援ぶりが伺えます。
プロ入団時も地元球団である阪神タイガースだったため、両親も安心したと報じられています。
両親とのマル秘エピソード
画像引用元:サンスポ
才木浩人選手と両親の間には、いくつか興味深いエピソードがあります。
まず父親・昭義さんとのエピソードでは、才木浩人選手がドラフト会議で指名された際に、固い握手を交わして喜びを分かち合ったというシーンが印象的です。
普段は寡黙な父親が、息子の大きな節目の瞬間に見せた感情表現だったのでしょう。
また、才木浩人選手は父親のことを「慎重派であり、最悪の事態を想定して行動できる人物」と評しており、自分とは対照的な性格だと語っています。
異なる性格でありながらも、互いを尊重し合う関係性が伺えます。
母親・文子さんとのエピソードでは、才木浩人選手が怪我のリハビリ中に見せた姿勢が印象的です。
才木浩人選手は母親の精神的な強さを「あの人のメンタルはバケモンなんで」と尊敬の念を込めて語っており、母親から受け継いだ精神力の強さを自覚しているようです。
また、才木浩人選手が小学生の頃、プレッシャーから円形脱毛症になった際のエピソードも感動的です。
母親は「やめてもいいよ」と声をかけましたが、才木浩人選手は自らの意思で野球を続け、困難を乗り越えました。
このエピソードは、母親が子供の決断を尊重しながらも、精神的な支えとなっていたことを物語っています。
両親は才木浩人選手の試合には頻繁に足を運び、最大の理解者であり、世界一のファンとして応援し続けています。
プロ野球選手として厳しい世界で戦う才木浩人選手にとって、このような家族の存在は大きな支えとなっているのではないでしょうか。
兄とのマル秘エピソード
才木浩人選手と兄・智史さんの間には、いくつか微笑ましいエピソードがあります。
まず、才木浩人選手が野球を始めたきっかけが兄の存在だったというのは大きなポイントです。
当時、才木浩人選手はサッカーをやりたかったそうですが、兄が既に野球をしていたことや、母親の送迎の都合もあり、野球を始めることになりました。
結果的に、この選択が才木浩人選手をプロ野球選手への道へと導くことになったわけです。
智史さんは自身のSNSアカウントを通じて、弟である才木浩人選手の活躍を頻繁に投稿し、応援しています。
特に感動的なエピソードとして、ある試合で才木浩人選手が勝利投手となった際、智史さんは「浩人おめでとう。今日は大の阪神ファンやった亡くなった母方のばあちゃんの誕生日ってことわかって投げてたんかは知らんけど最高の日になったな!いろいろ巡り合わせ!」と投稿したというものがあります。
浩人おめでとう。
今日は大の阪神ファンやった亡くなった母方のばあちゃんの誕生日ってことわかって投げてたんかは知らんけど
最高の日になったな!
いろいろ巡り合わせ!— S.Satoshi (@satoshi_bbss) September 14, 2023
亡き祖母の誕生日と弟の勝利という巡り合わせに深い感慨を綴る姿からは、家族の絆と弟への熱い想いが伝わってきます。
また、才木浩人選手がオフシーズンにハワイ旅行へ行った際には、智史さんは「ハワイいいなー俺も行きたかったなーハワイ行きたかったなー浩人の専属ボディーガードで連れて行ってくれんかなー飛行機は貨物で我慢するからさー」と投稿したそうです。
ハワイいいなー
俺も行きたかったなー
ハワイ行きたかったなー
浩人の専属ボディーガードで連れて行ってくれんかなー
飛行機は貨物で我慢するからさー— S.Satoshi (@satoshi_bbss) November 17, 2023
この投稿はファンの間でも話題となり、兄弟の微笑ましい関係性を示しています。
兄弟ともに投手であり、さらに同じトミー・ジョン手術を経験しているという共通点も興味深いです。
この共通の経験は、プロ野球選手として厳しいリハビリを乗り越えなければならなかった才木浩人選手にとって、兄・智史さんの存在が精神的な支えの一つとなったのではないでしょうか。
これらのエピソードから、才木浩人選手と兄・智史さんは、互いを応援し支え合う、非常に仲の良い兄弟であることが伺えます。
智史さんの存在は、才木浩人選手が野球を始め、そしてプロの世界で活躍する上で、大きな力となっていると言えるでしょう。
まとめ
以上が、才木浩人選手を支える家族について紹介してきました。最後に簡単にポイントをまとめたいと思います。
- 才木浩人選手は父・母・兄の4人家族で、実家は兵庫県神戸市西区にある
- 父親の昭義さんは川崎重工業の元エンジニアで、関西国際空港のシステム開発など国家的プロジェクトに携わった人物
- 母親の文子さんは元ハンドボール選手で国体出場経験があり、「小さい頃から決して甘やかさない」という教育方針だった
- 3歳年上の兄・智史さんも投手として野球をしており、才木浩人選手が野球を始めるきっかけとなった
- 両親の教育方針は、才木浩人選手の精神的な強さや負けず嫌いな性格を育成するのに大きく貢献した
- 兄弟は現在も仲が良く、SNSを通じて才木浩人選手の活躍を応援している
才木浩人選手のプロ野球選手としての活躍の背景には、このような温かくも時に厳しい家族の存在がありました。
エンジニアとしての論理的思考を持つ父親と、アスリートとしての精神力を持つ母親、そして共に野球に打ち込んだ兄。
それぞれが才木浩人選手に与えた影響は計り知れません。
プロ野球の世界で活躍する才木浩人選手ですが、その礎となったのは間違いなく家族の支えでしょう。
これからも才木浩人選手の活躍を、家族とともに応援していきたいものです。
才木家の家族愛に触れると、スポーツ選手の成長には家族の支援が欠かせないことを改めて実感します。
才木浩人選手のさらなる飛躍を楽しみにしながら、彼を育んだ家族の絆に敬意を表したいと思います。