宮城大弥は両親と妹の4人家族!妹はタレントの宮城弥生!家族のエピソードを紹介!

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オリックス・バファローズのエース、宮城大弥選手の家族について詳しく解説したいと思います。

両親と妹の4人家族で育った宮城大弥選手は、厳しい経済環境を乗り越えてプロ野球選手となりました。

妹はタレントの宮城弥生さんで、家族の絆は非常に強いものがあります。

宮城大弥選手を支えた家族構成や感動的なエピソード、両親の教育方針までご紹介したいと思います。

宮城大弥の家族構成

宮城大弥選手は、父・亨さん、母・礼子さん、妹・弥生さんとの4人家族で育ちました。

それぞれの家族メンバーが野球人生において重要な役割を果たしてきたのです。

父宮城亨さん

hiroya-miyagi-father画像引用元:Sportsnavi

父・亨さんは現在55歳で、宮城大弥選手の最大の理解者です。

中学3年生の時に交通事故に遭い、左腕に麻痺が残る障害を抱えることになりました。

定職に就くことが難しく、複数の仕事を掛け持ちして家計を支えてきたそうです。

息子の野球への夢を諦めさせたくないという強い思いから、どんなに生活が苦しくても野球を続けさせる決断をされました。

現在は「一般財団法人宮城大弥基金」の代表理事として、経済的な理由でスポーツを諦めざるを得ない子供たちの支援活動に取り組んでいます。

2023年のWBC決勝では家族揃ってアメリカまで応援に駆けつけ、息子の活躍を誇らしげに見守っていました。

その姿には本当に感動させられますね!

母:宮城礼子さん

hiroya-miyagi-family画像引用元:デイリー

母・礼子さんは現在54歳で、宮城大弥選手を温かく見守り続けてきました。

家計が厳しい中でも、幼い宮城大弥選手の練習に付き合うなど、献身的にサポートしてきたのです。

経済的に苦しい時期には、月末に具のないカレーライスしか出せないこともあったそうです。

「こんなものでごめんね」と謝る母に対し、宮城大弥選手が「ノーフードカレーだね」と冗談を言って家族を和ませたエピソードが残っています。

現在も親子でビデオ通話をするなど、友人のような良好な関係を築いているそうですね!

妹はタレントの宮城弥生

yayoi-miyagi画像引用元:BASEBALL KING

妹・弥生さんは2006年3月6日生まれで、現在は女優・タレントとして芸能事務所ホリプロに所属しています。

2023年3月のWBCで兄を熱心に応援する姿がテレビやSNSで話題となり、芸能界デビューを果たしました。

芸能界入りを決断する際には兄に相談し、「やってみたらいいんじゃない?できなくて責める人はいないよ」という温かい言葉に背中を押されたそうです。

兄妹の仲は非常に良好で、幼少期は「ずっとお兄ちゃんにくっつき虫だった」と語っています。

2026年1月には二十歳のつどいを迎え、華やかな振袖姿をインスタグラムで披露しました。

宮城大弥の家族の絆と壮絶な幼少期

宮城大弥選手の家族の強い絆は、壮絶な幼少期の経験から育まれました。

経済的に厳しい状況の中でも、家族全員で支え合いながら困難を乗り越えてきたのです。

経済的困窮

hiroya-miyagi画像引用元:日テレ

宮城家は沖縄県宜野湾市にある家賃2万8千円、わずか6畳一間のアパートで4人暮らしをしていました。

スペースが足りず、両親のどちらかが座って寝ることもあったというから驚きです…。

父・亨さんの障害により収入は不安定で、電気、ガス、水道といったライフラインが頻繁に止められる生活を送っていました。

夏場はクーラーがなく、涼を求めて近所のスーパーへ行くのが日課だったそうです。

食事も満足に摂れず、月末には具のないカレーやメリケン粉を焼いたもので飢えをしのいでいたといいます。

このような壮絶な環境の中で、家族4人が寄り添いながら生きていた様子が伝わってきますね。

野球への情熱と家族の支え

厳しい状況下でも、宮城大弥選手の野球への情熱は途絶えることがありませんでした。

しかし野球道具を買う余裕はなく、ユニフォームはつぎはぎだらけ、スパイクはガムテープで補修して使っていたそうです。

初めて買ってもらったグローブは700円のビニール製のおもちゃだったといいます。

家計が苦しく野球を辞めようかと考えたこともありましたが、両親は息子の夢を諦めさせませんでした。

亨さんは複数の仕事を掛け持ちして睡眠時間を削り、礼子さんもパートに出て、息子の野球にかかる費用を捻出し続けたのです。

年間100万円以上かかる遠征費などを必死に工面した両親の姿には、本当に胸を打たれますね。

宮城大弥の両親の教育方針は?

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宮城大弥選手の両親の教育方針は、厳しい環境の中でも子供の夢を諦めさせず最後まで支え抜くという一貫した姿勢に集約されます。

父・亨さんは「親として子供に好きなことはやらせたい」と語りながらも、「中途半端じゃダメだぞ」と約束を交わし、覚悟を持って息子を支え続けました。

生後11か月からプラスチックのバットで遊び、1歳になるとテレビで甲子園を見ていたという宮城大弥選手。

4歳の頃には少年野球チームに入団させるなど、両親は息子の自発的な興味を尊重したのです。

父・亨さんは現在、「宮城大弥基金」の代表理事として「逆境を乗り越える教育論」を提唱しています。

それは困難な環境にあっても、子供の夢を諦めさせず、努力し続けることの重要性を伝えるものです。

特に印象的なのは、「支援」ではなく「シェア(分かち合い)」という概念でしょう。

お互いのリソースを補い合い、将来的には受け取った側も「返せる」関係性を築くことで、社会全体でポジティブな循環を生み出すという考え方には共感させられますね。

宮城大弥と家族のエピソード

宮城大弥選手と家族の間には、極貧生活を共に乗り越えた絆から生まれた心温まるエピソードが数多く存在します。

「くっつき虫」だった妹

hiroya-miyagi-family画像引用元:full-Count

妹の弥生さんは幼少期から兄・大弥選手に「ずっとくっつき虫だった」と語っています。

お留守番が苦手だった弥生さんは、「お兄ちゃん連れてって」と懇願し、兄の野球の練習をずっと見ていたそうです。

弥生さんは過去に兄の寝顔をスマートフォンの待ち受け画面にしていたこともあったと明かしています。

兄妹の仲の良さを象徴するエピソードですね。

芸能界デビューを果たした弥生さんの学費は兄が出してくれたといいます。

弥生さんは「出世払いで返す」と語っており、兄妹間での金銭的な支え合いも垣間見えます。

2023年のWBC決勝戦後、宮城家は大谷翔平選手と写真を撮る機会に恵まれました。

その際、弥生さんは大谷選手の顔の小ささに驚き、「顔がめっちゃ小さくて、メロン入ってるんちゃうかな?」と冗談を言ったそうです。

天真爛漫な性格が表れていますね。

貧困生活の中での家族の絆

極貧生活の中でも、宮城家は常に笑顔を絶やさず前向きに生きていました。

弥生さんは当時を振り返り、「暑い日とか夏、クーラーがないので、涼みに行くためだけにスーパーに行ってました」と語っています。

6畳一間のアパートにクーラーがなく、家族4人で暑さをしのぐために近所のスーパーへ足を運ぶ…。

そんな日常が宮城家の現実でした。

2026年1月、宮城大弥選手が一般女性との結婚を発表した際、弥生さんは「お父さんも喜んでいました。いいことずくめです。今年はハッピーハッピーです!」と笑顔を見せました。

兄の人生の門出を心から祝福する姿が印象的です。

まとめ

宮城大弥選手は両親と妹の4人家族で育ち、厳しい貧困を乗り越えてプロ野球選手となりました。

妹はタレントの宮城弥生さんで、兄妹の絆は非常に強いものがあります。

父・亨さんと母・礼子さんの「子供の夢を諦めさせない」という教育方針が今の宮城大弥選手を育てました。

家族全員が支え合い、困難を乗り越えてきた宮城家のエピソードからは、深い愛情と絆が感じられますね!