2025年1月16日、イチロー氏が野球界最高の栄誉とされる「殿堂入り」を果たしました。
彼が現役時代に稼ぎ出した生涯年俸は、驚異の約190億円。
この巨額の収入は、日本プロ野球(NPB)とメジャーリーグ(MLB)での長年の活躍によるものですが、その内訳や契約交渉の背後は意外に知られていません。
この記事では、NPBおよびMLBの具体的な年俸推移を軸に、イチロー氏が稼いだ驚異の収入の内訳と、その背景を徹底解説。
さらに、年収の使い道や資産運用術、引退後の活動についても掘り下げます。
野球ファンのみならず、ビジネスや資産運用に関心を持つ方にも楽しんでいただける内容ですので、ぜひ最後までお読みください。
Contents
イチローの生涯年俸の総額は?
画像引用元:日本経済新聞
イチロー氏の生涯年俸は、日本プロ野球(NPB)、メジャーリーグ(MLB)を含めて約190億円とされています。
以下は、イチロー氏が現役時代に所属した球団別の推定年俸です。
- オリックス時代:約19億8,000万円
- マリナーズ(初期)時代:約147億6,000万円
- ヤンキース時代:約13億2,000万円
- マーリンズ時代:約6億8,000万円
- マリナーズ(後期)時代:約1億6,000万円
これにより、彼の生涯年俸は189億円に達し、約190億円と見積もられています。
それでは、イチロー氏の年俸推移を詳しく見ていきましょう。
日本プロ野球(NPB) 時代の年俸推移
NPB時代のイチロー選手は、1992年から2000年までの9年間、オリックス・ブルーウェーブでプレーしました。
この期間の年俸推移は以下の通りです。
年代 | 年齢 | 推定年俸 |
1992年 | 19歳 | 430万円 |
1993年 | 20歳 | 800万円 |
1994年 | 21歳 | 800万円 |
1995年 | 22歳 | 8,000万円 |
1996年 | 23歳 | 1億6,000万円 |
1997年 | 24歳 | 2億6,000万円 |
1998年 | 25歳 | 4億3,000万円 |
1999年 | 26歳 | 5億円 |
2000年 | 27歳 | 5億3,000万円 |
1991年、オリックス・ブルーウェーブからドラフト4位で指名されたイチロー選手は、契約金4,000万円、年俸430万円の内容で入団の契約を交わします。
イチロー選手の年俸が大幅にアップするきっかけとなったのは、入団3年目となる1994年シーズンの活躍です。
彼はこの年、選手登録名を「鈴木一朗」から「イチロー」に変更。すると、同年にシーズン最多安打となる213安打を記録し、彼の年俸は昨年の約10倍にアップしました。
さらに、翌年も首位打者を獲得したイチロー選手の年俸は、大台超えとなる1億6,000万円に達します。
そして、オリックス・ブルーウェーブでの最終年となった2000年には、彼の年俸は5億3,000万円に達し、日本人選手初となる「5億円プレーヤー」となりました。
メジャーリーグ(MLB)の年俸推移
ここからは、MLBでの年俸推移を紹介していきます。
まずは、シアトル・マリナーズ(初期)の年俸推移を見ていきましょう。
年代 | 年齢 | 推定年俸 |
2001年 | 28歳 | 566万ドル(約6億9,000万円) |
2002年 | 29歳 | 369万ドル(約4億6,200万円) |
2003年 | 30歳 | 467万ドル(約5億円) |
2004年 | 31歳 | 650万ドル(約7億200万円) |
2005年 | 32歳 | 1,250万ドル(約13億7,500万円) |
2006年 | 33歳 | 1,250万ドル(約14億5,000万円) |
2007年 | 34歳 | 1,250万ドル(約13億7,500万円) |
2008年 | 35歳 | 1,800万ドル(約18億5,400万円) |
2009年 | 36歳 | 1,800万ドル(約16億9,200万円) |
2010年 | 37歳 | 1,800万ドル(約15億8,400万円) |
2011年 | 38歳 | 1,800万ドル(約14億4,000万円) |
2012年 | 39歳 | 1,800万ドル(約14億4,000万円) |
イチロー選手のメジャーリーグデビューは2001年です。同年には、新人王と最優秀選手賞(MVP)を同時受賞したMLB史上2人目の選手となりました。
その後も、シアトル・マリナーズ在籍中に数々の記録を打ち立てたイチロー選手。
特に2004年には、シーズン最多安打記録を262本に更新し、これまでの記録を大幅に上回りました。
そんな彼の功績が認められ、2008年には「5年総額9,000万ドル(当時のレートで約99億円)」という高額な契約が結ばれています。
この契約で得た、2008年から2012年までの年俸1,800万ドルが、イチロー選手の最高年俸額となりました。
尚、この期間の年俸は、1,800万ドルから“後払い分”の500万ドルが差し引かれて支払われる契約となっています。
続いて、ニューヨーク・ヤンキース時代の年俸推移を見ていきましょう。
年代 | 年齢 | 推定年俸 |
2013年 | 40歳 | 650万ドル(約6億3,700万円) |
2014年 | 41歳 | 650万ドル(約6億8,900万円) |
ニューヨーク・ヤンキース入団後、イチロー選手の年俸は650万ドルと大幅に減少しました。
しかし、彼は「ワールドシリーズ制覇を目指せる理想的な環境」としてこの移籍を決断。
その背景には、ヤンキースが持つ歴史やチーム内の競争力が大きく影響していたのでしょう。
そして、ヤンキース入団1年目となった2013年には日米通算4367安打を記録し、ピート・ローズが持つメジャーリーグの通算安打記録を塗りかえました。
次に、2015年に移籍したマイアミ・マーリンズ時代の年俸推移を見ていきましょう。
年代 | 年齢 | 推定年俸 |
2015年 | 42歳 | 200万ドル(約2億4,200万円) |
2016年 | 43歳 | 200万ドル(約2億1,800万円) |
2017年 | 44歳 | 200万ドル(約2億2,400万円) |
2015年1月28日にマイアミ・マーリンズと正式契約を結び、同年のシーズンからチームに参加しました。
ヤンキース時代の2年間を振り返り、チームから必要とされる感覚や、プレーすることへの情熱を再確認したいと考えていたイチロー選手は「マーリンズが自分を必要としている」という熱意を強く感じ、移籍を決断したようです。
マーリンズ時代の年俸は、ニューヨーク・ヤンキース時代よりもさらに減少しますが、これは、イチロー選手が自身の野球美学を貫いた結果とも言えるでしょう。
また、マーリンズ在籍中の2016年にはMLB通算3000本安打を達成し、メジャーリーグ史上30人目となる偉業を成し遂げています。
最後に、古巣への復帰となったシアトル・マリナーズ(後期)の年俸推移を見ていきましょう。
年代 | 年齢 | 推定年俸 |
2018年 | 45歳 | 75万ドル(約8,250万円) |
2019年 | 46歳 | 75万ドル(約8,175万円) |
イチロー選手は2018年にシアトル・マリナーズに復帰し、6年ぶりに古巣でのプレーを再開します。
復帰後は主に代打として起用されますが、シーズン中に負った右ふくらはぎの故障が影響し、出場機会は限られました。
そしてイチロー選手は、2019年3月21日に東京ドームで行われたアスレチックス戦を最後に現役を引退しました。
選手としての役割を終えたイチロー選手は、同球団の会長付特別補佐兼インストラクターとして、若手選手育成という新たな役割を担うことになるのです。
イチローの年俸推移とその背景
画像引用元:Full-Count
ここでは、イチロー選手の年俸推移とその背景に迫っていきます。
- 日本時代の年俸アップの要因
- メジャーリーグでの高額契約の背景
日本球界での圧倒的な実績と人気、さらに、メジャーリーグでの市場価値の上昇に注目です。
日本時代の年俸アップの要因
日本プロ野球時代にイチロー選手の年俸がアップした要因として、以下の3つの項目が挙げられます。
1.卓越したパフォーマンス:イチロー選手はその卓越した打撃技術と守備力で知られ、特に1994年から1996年にかけての3年連続MVP受賞や、シーズン最多210安打の記録を打ち立てるなど、圧倒的な成績を残しました。これにより、彼の市場価値が大きく上昇しました。
2.日本プロ野球の経済成長:1990年代後半から2000年代初頭にかけて、日本のプロ野球は経済的に成長し、球団の収益も増加しました。この時期には、特に人気選手の年俸が急上昇し、イチロー選手もその恩恵を受けた一人です。中でも、彼が所属していたオリックス・ブルーウェーブは、彼の人気を活かして収益を伸ばしていました。
3.メディアとスポンサーシップの影響:イチロー選手はその高い人気から多くのメディアで取り上げられ、多数のスポンサー契約を結んでいました。これにより、彼のブランド価値は一層高まり、球団も彼に高額な年俸を支払うことが可能になりました。さらに、彼の活躍は日本国内外で大きな注目を集め、プロ野球全体の注目度を押し上げる大きな要因となりました。
このように、イチロー選手の日本プロ野球時代の年俸アップの背景には、圧倒的な成績による市場価値の向上、日本プロ野球の経済成長、そしてメディア露出やスポンサー契約の影響がありました。
特に3年連続でのMVP受賞や、記録的な打撃成績がイチロー選手の評価を高め、球団の収益増加と相まって高額年俸が実現したと考えられます。
メジャーリーグでの高額契約の背景
イチロー選手のメジャーリーグでの高額契約として話題となったのが、2007年7月にシアトル・マリナーズと結んだ5年総額9,000万ドル(当時のレートで約99億円)の契約です。
この契約は、当時の日本人選手としては史上最高額の契約となり、その年俸は1年あたり1,800万ドル(約20億円)に相当します。
また、この契約には契約金500万ドルと、引退後に支払われる2,500万ドルが含まれており、彼の引退後の生活も考慮された内容となっていました。
5年総額9000万ドル(約131億円6000万円)のうち、年俸から500万ドル(約7億3000万円)分が毎年(5年間)後払いという形態になり、総額2500万ドル(約36億4000万円)に5.5%の利子を乗じた額が引退後に支払われるという契約だった。
引用:Full-Count
この契約には、メジャーリーグ1年目から見せたイチロー選手のパフォーマンスと、市場価値の急上昇が大きく影響しました。
2001年にメジャーリーグに移籍したイチロー選手は、2001年から2004年までの4年間、連続で首位打者のタイトルを獲得します。
さらに、2001年には新人王とMVPを同時受賞するという圧倒的な活躍を見せ、その実績が彼の契約金額を大きく押し上げる要因となりました。
画像引用元:ニッポン放送
一方で、2007年の契約時点でイチロー選手は34歳となり、一般的に選手としてのピークを過ぎつつあると考えられる年齢でした。それにもかかわらず、彼の市場価値は依然として非常に高く評価されていました。
イチロー選手の卓越した打撃技術や守備力はもちろん、日本市場における絶大な人気がもたらす経済効果がその大きな理由です。
例えばシアトル・マリナーズは、彼との契約により日本国内での注目度が飛躍的に向上し、関連グッズの販売やスポンサー収入を大幅に増加させたと言われています。
特に2004年の最多安打記録達成後、イチロー選手のユニフォームは日本国内で即日完売するほどの人気を博しました。
また、強豪ニューヨーク・ヤンキースをはじめとする他球団もイチロー選手の獲得に関心を示していたことも、高額契約に至った理由の一つです。
つまり、シアトル・マリナーズは他チームとの獲得競争に勝つために積極的な契約交渉を行う必要があったのです。
このように、メジャーリーグで圧倒的な成果を挙げ、市場価値を高めたイチロー選手との契約は、シアトル・マリナーズにとって極めて重要な資産となりました。
イチロー選手との高額契約は、チームのブランド価値を大きく向上させる原動力にもなったと言えるでしょう。
イチローの生涯収入とその使い道
画像引用元:Full-Count
イチロー氏が28年間の現役生活で稼いだ金額は、年俸やスポンサー料を合わせておよそ200億円と言われており、純資産(総資産から負債を引いた額)は、2021年時点で約192億円と報じられています。
米デジタルラジオ局の「ラジオ.com」は2021年現在、最もリッチなMLBプレーヤートップ10を純資産順にランク付けした。1位はアレックス・ロドリゲス氏の3億5000万ドル(約373億円)、イチロー氏は1億8000万ドル(約192億円)で3位にランクインしている。
引用:Full-Count
ここでは、イチロー氏の収入の使い道を深く掘り下げていきます。
資産運用と引退後の収入源
イチロー氏は、現役時代に得た年俸やスポンサー収入を活用し、資産運用を行っています。
彼は資産管理を妻の弓子さんに任せており、彼女が代表を務める資産管理会社「IYIコーポレーション」を通じて運用されています。
この会社は、主に不動産投資を行っており、イチロー氏の資産を効率的に管理しています。
「弓子夫人は今、シアトルで実業家として知る人ぞ知る存在です。今では夫がいままでに稼いだ累計200億円を超えるとも言われる資金をバックに、“実業家兼イチローの代理人”として、活躍しているんです」(アメリカ・シアトルの野球関係者)
引用:女性自身
この「IYIコーポレーション」は税率の低いネバダ州に設立されており、税金を最小限に抑える戦略を採用しています。これにより、イチロー氏の資産は個人名義ではなく、法人名義で運用されるため、税金の負担が軽減されているのです。
また、イチロー氏は若い頃から株式投資にも関心を持ち、現物株を扱っていたことが知られています。彼は「僕だけ一般紙の株式欄を見ていた」と語っており、資産運用に対する独自の視点を持っていました。
さらに、イチロー選手は引退後も年金や報酬の一部を後払いで受け取る契約を結んでおり、これにより利息分が上乗せされる仕組みを利用しています。
例えば、マリナーズとの契約では、報酬の一部を後払いにすることで、利息を得る形式を取っていました。
この後払い分には5.5%の利息がつくため、資産形成において非常に有利な条件となっているようです。
マリナーズと最初に契約した2001年から03年までの3年契約で報酬は1400万ドル(約15億4000万円)、このうち半分の700万ドルと利息を後払いで受け取る「Deferred Payment」になっていたそうだ。
画像引用元:Full-Count
そのほかにも、イチロー氏の引退後の主な収入源として以下の3つが挙げられます。
1.マリナーズとの契約:イチロー氏は、シアトル・マリナーズの「会長付特別補佐兼インストラクター」としての役職を持ち、年間約8,000万円の収入を得ています。この役職は、彼の経験を活かした指導的な役割を果たしています。
2.CM出演料:イチロー氏は日本国内外で多くのCMに出演しており、これにより年間約5億2,500万円の収入を得ていると推測されます。彼の人気と知名度は高く、複数の企業からのオファーが寄せられています。
3.年金制度:イチロー氏は、MLBでの長いキャリアにより、引退後に年金を受け取る資格もあります。MLBの年金制度では、62歳から毎年約2,300万円が支給されるため、将来的な収入源としても期待されています。
これら、現役時代から戦略的に運用していた資産管理と、引退後の高額な収入が、イチロー氏の安定した経済基盤を形成していると言えるでしょう。
社会貢献活動と寄付の実績
イチロー氏はプロ野球選手としてのキャリアを通じて、これまで数多くの社会貢献活動や寄付を行ってきました。
以下は、具体的な寄付の実績になります。
・東日本大震災への寄付:東日本大震災の義援金として、1億円を日本赤十字社に寄付しました。この寄付は、彼が所属するマネジメント会社「バウ企画」を通じて行われました。
・新燃岳噴火への寄付:2011年には、新燃岳噴火による被害があった宮崎県に対して、ふるさと納税制度の『ふるさと宮崎応援寄付金』に1,000万円を寄付しました。
・愛知県への寄付:2000年に豪雨被害を受けた地元・愛知県に対し、衣類1500点(1300万円相当)の救援物資を提供しました。
・阪神・淡路大震災への寄付:1998年、阪神・淡路大震災からの復興支援として兵庫県神戸市に1000万円の寄付をしています。
画像引用元:パ・リーグ.COM
イチロー氏の社会貢献活動は、寄付だけにとどまりません。
彼の活動には、子供たちや地域社会への支援に焦点を当てているものが多く見られます。
・教育支援:イチロー氏は、子供たちへの野球教室を開催し、次世代の育成に貢献しています。彼の教室では、技術指導だけでなく、スポーツを通じた人間形成やチームワークの重要性についても教えているのが特徴です。
・プロジェクトへの参加:2023年には、ユニクロと共同で「イチローPOST」というプロジェクトを展開し、頑張る子供たちを応援する活動を行っています。このプロジェクトは、子供たちに学びの場を提供し、社会貢献を実践することを目的としています。
・子供達の夢実現への貢献:「メイク・ア・ウィッシュ オブ ジャパン」とのパートナーシップを通じて、難病と闘う子供たちの夢を実現するための活動にも参加しています。この活動はスターバックスコーヒーとのコラボレーション企画で、特別なデザインのスターバックスカードやマグカップを販売し、その売上の一部を寄付する取り組みです。
このように、イチロー氏の社会貢献活動は、彼自身の影響力を通じて多くの人々にポジティブな影響を与えてきました。
彼は自身の活動を通じて「アスリートが社会と向き合い、貢献することの大切さ」を発信し続けています。
その姿勢は、多くの選手たちに影響を与え、社会貢献活動に積極的に取り組むきっかけを生んでいると言えるでしょう。
イチローのプロフィール
画像引用元:THE ANSWER
最後に、イチロー氏のプロフィールを見ていきましょう。
|
まとめ
イチロー氏の生涯年俸は、NPBとMLBの28年間を通じて約190億円に達しました。
その背景には、日本時代の圧倒的な実績と、MLBでの市場価値の上昇が大きく影響しています。
特に、NPB時代には1994年の213安打を皮切りに年俸が急上昇し、MLBではデビュー直後からの活躍が高額契約を引き寄せました。
また、ヤンキースやマーリンズ移籍後の減額にも関わらず、彼の野球に対する情熱と信念が各球団に高く評価され続けてきたのも事実です。
こうした年俸の推移は、単なる金額の変化にとどまらず、イチロー氏のパフォーマンスや野球界への影響力を反映していると言えるでしょう。
生涯を通じて約200億円を稼ぎ出したイチロー氏は、野球選手としての卓越した能力だけでなく、その市場価値や人間性でも多くの人々に感動を与え続けています。