竹丸和幸のwiki経歴と学歴!崇徳高校、城西大大学、鷺宮製作所を経てドラフトで巨人へ!

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2025年ドラフト1位で読売ジャイアンツに入団した竹丸和幸選手。

無名だった崇徳高校時代を経て、城西大大学、そして鷺宮製作所で社会人No.1左腕へと飛躍しました。

今回は竹丸和幸選手のwiki経歴と学歴について、少年野球から巨人入団、プロ1年目の活躍まで、その歩みを詳しくご紹介していきます。

竹丸和幸のwiki経歴

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竹丸和幸選手は、高校時代に野球を辞めることも考えていた「遅咲き」の左腕です。

恩師の後押しで競技を続け、環境を変えるたびに課題を乗り越えてきました。

まずは基本的なプロフィールから見ていきましょう。

  • 氏名:竹丸 和幸(たけまる かずゆき)
  • 生年月日:2002年2月26日(24歳)
  • 出身地:広島県広島市東区矢賀
  • 身長/体重:179cm/76kg
  • 血液型:A型
  • 投打:左投左打
  • 所属球団:読売ジャイアンツ
  • 背番号:21
  • ドラフト:2025年ドラフト1位

竹丸和幸選手は、広島県広島市東区矢賀で生まれ育ちました。

幼稚園の頃に父親からゴムボールを買ってもらい、キャッチボールを重ねたことが野球人生の出発点です。

小柄な体格からのスタートでしたが、大学、社会人と段階を踏んで力を伸ばしていきます。

プロ入りまでの道のりは、決してエリートコースではありませんでした。

鷺宮製作所時代に社会人No.1左腕へと飛躍

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竹丸和幸選手が社会人No.1左腕へと飛躍できた最大の要因は、鷺宮製作所での本格的な身体づくりと先発転向にあります。

城西大学経営学部を卒業した竹丸和幸選手は、2024年3月に鷺宮製作所へ入社しました。

社業では給湯器などに使われる小形電磁弁の製造・組立部門で、工場のライン作業を担当します。

同じ作業を繰り返す仕事を通じて忍耐力が培われたと、本人も振り返っています。

入社後に始めた本格的なウエートトレーニングが、大きな転機となりました。

2年間で体重を約8kg増やし、最速球速は149km/hから152km/hへ上昇。

細身の投手が単に筋量を増やすだけでなく、出力向上と制球力を両立させた点に価値があると感じます。

さらに2024年秋には本格的に先発へ転向し、救援時代に培った駆け引きや変化球の精度を長いイニングへと適応させていきました。

2025年には全国の舞台で結果を残します。

夏の都市対抗ではTDK戦で6回2安打8奪三振1失点、与四球0という圧巻の内容で全国初勝利を挙げました。

69球のうちボール球はわずか17球。

少ない球数で三振を奪える能力に、スカウトからは「打たれるリスクが少ない」「変化球も多彩」といった高評価が集まります。

このように、鷺宮製作所での身体づくりと先発転向が、竹丸和幸選手を社会人を代表する左腕へと押し上げました。

ドラフト指名と巨人入団

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竹丸和幸選手は、2025年ドラフトで巨人から単独1位指名を受けて入団しました。

巨人は指名を事前に公表し、他球団との競合なく交渉権を獲得しています。

阿部慎之助監督は即戦力として評価し、「球界を代表する投手になってほしい」と大きな期待を寄せました。

巨人が社会人投手を最初の入札で指名するのは、2013年以来12年ぶりの出来事です。

契約金は1億円プラス出来高5000万円、推定年俸は1600万円とされています。

注目すべきは背番号「21」でしょう。

この番号は高橋一三、宮本和知、高橋尚成、内海哲也ら、巨人の先発左腕が受け継いできた由緒ある番号です。

竹丸和幸選手自身も内海投手を理想像として挙げ、年間を通してローテーションを守る技術を学びたいと語っていました。

名門の系譜を託されたことからも、球団の期待の高さがうかがえます。

つまり、竹丸和幸選手は即戦力かつ左のローテーションの軸として、大きな期待を背負って巨人へ入団したのです。

プロ1年目の歴史的開幕から試練と修正

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竹丸和幸選手のプロ1年目は、歴史的な開幕と苦しい夏場、そして見事な修正の物語となりました。

2026年3月27日、阪神との開幕戦で竹丸和幸選手は先発マウンドに上がります。

巨人の新人開幕投手は1962年の城之内邦雄以来、実に64年ぶり

6回3安打5奪三振1失点で勝利投手となり、巨人新人による開幕戦勝利は球団史上初の快挙となりました。

打者22人中17人から初球ストライクを奪う制球力は、初戦から健在だったといえます。

その後も奪三振能力を発揮し、新人ながら2試合連続2桁奪三振を記録するなど強烈な印象を残しました。

一方で試練も訪れます。

8月はDeNA戦や中日戦で3回8失点と大きく崩れ、月間防御率は11.25まで悪化しました。

ここで光ったのが、竹丸和幸選手の適応力です。

従来のチェンジアップとスライダーだけでは対応されると考え、カットボールの比率を増やし、シンカーも新たに導入します。

9月4日の地元・広島戦では6回2安打無失点10奪三振と好投し、修正力を証明してみせました。

9月5日時点で19先発、9勝9敗、防御率3.72、120奪三振という成績です。

失敗を新しい武器の習得へつなげる姿勢に、長期的な先発投手としての資質を感じます。

竹丸和幸の学歴

竹丸和幸選手の学歴は、広島市立矢賀小学校、広島市立二葉中学校、崇徳高等学校、城西大学という一本の道をたどっています。

いずれの段階でも「無名」からの出発だった点が、のちの急成長をより印象的なものにしました。

ここからは学年ごとの歩みを整理していきます。

地元少年野球チームで第一歩を踏み出した小学生時代

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竹丸和幸選手が組織的な野球への第一歩を踏み出したのは、小学生時代の地元少年野球チームでした。

幼稚園の頃に父親と始めたキャッチボールが原点となり、野球への興味が育まれます。

そして広島市立矢賀小学校に通っていた2年生のとき、地元の少年野球チーム「温品ヤングウルフクラブ」に加入しました。

矢賀は竹丸和幸選手自身の出身地でもあり、地域密着型のチームで野球の基礎を学んだことになります。

投手を務め始めたのは4年生から

この時期に左腕投手としての土台が形づくられました。

親子のキャッチボールから始まった野球が、地元チームでの活動を通じて本格的なものへと変わっていったのです。

軟式野球チームに所属した中学生時代

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中学生時代の竹丸和幸選手は、硬式ではなく軟式野球チームに所属していました。

小学校を卒業した竹丸和幸選手は、広島市立二葉中学校へ進学します。

ここでも軟式野球チーム「広島スターズ」でプレーを続けました。

硬式野球への本格的な転換は高校進学後であり、中学までは軟式が中心だった点は複数の出典で共通して指摘されています。

中学3年春には全国大会も経験しました。

ただし当時は小柄で、チーム内では4番手投手という立場だったそうです。

エース候補として全国から注目される存在ではなかった中学時代。

それでも競技を続けたことが、後の飛躍につながっていきます。

崇徳高等学校で「無名」の3年間

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崇徳高等学校での3年間は、竹丸和幸選手にとって「無名」の時期でした。

広島の強豪として知られる崇徳高等学校へ進学した竹丸和幸選手は、ここで硬式野球に転じます。

しかし入学時の身長は157cmと、フィジャル面ではまだ発展途上。

初めてベンチ入りしたのは高校2年秋のことでした。

3年夏の広島大会では16強止まりで、甲子園出場は叶っていません。

強豪校に所属しながらも、全国的には無名の一人というポジションだったといえます。

高校卒業時には、地元の私立大学へ進み野球を続けない道も考えていたそうです。

この低い知名度こそが、「無名から巨人開幕投手へ」という異例のキャリアの前提になったと思うと感慨深いものがあります。

城西大学で2部リーグから力をつけた大学時代

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城西大学時代の竹丸和幸選手は、2部リーグから段階的に力をつけていきました。

進路変更を後押ししたのは、当時の崇徳高監督・應武篤良氏です。

竹丸和幸選手の体の使い方と制球力を評価し、城西大学の練習参加を勧めました。

竹丸和幸選手自身も、社会人No.1左腕への評価につながった最大の要因として「野球をやめなかった」ことを挙げています。

大学では主に救援投手として経験を積み、大学2年から首都大学野球リーグの2部でベンチ入りするところからスタートしました。

転機は4年秋。1部リーグの9試合に登板し、3勝1敗、防御率1.52、29回2/3で34奪三振という好成績を残します。

奪三振率は約10.31と、上位リーグでも空振りを奪う力を示しました。

この成績が、その後の社会人野球入りへとつながっていきます。

時間をかけて力を蓄えた大学時代は、まさに竹丸和幸選手の「遅咲き」を象徴する4年間だったといえるでしょう。

まとめ

竹丸和幸選手は、崇徳高校、城西大大学、鷺宮製作所を経て、ドラフト1位で巨人へと進んだ遅咲きの左腕です。

無名の学生時代から社会人での飛躍を遂げ、プロ1年目には64年ぶりの新人開幕投手という大役を果たしました。

試練を修正力で乗り越えるその姿は、多くのファンを惹きつけています。

背番号21を長く背負う投手への成長に、今後も期待が高まりますね。