プロ野球選手、砂川リチャード選手をご存知でしょうか?
沖縄県出身の長打力に優れた内野手で、2025年5月に福岡ソフトバンクホークスから読売ジャイアンツへトレード移籍したことで話題になりました。
身長189cm、体重123kgという恵まれた体格から繰り出される強烈な打球は、ファンを魅了しています。
しかし、二軍では5年連続本塁打王を獲得するほどの圧倒的な成績を残しながらも、一軍ではなかなか結果を残せず「二軍の帝王」と呼ばれることに。
新天地でようやく開花の兆しを見せている砂川リチャード選手の、学生時代からプロまでの軌跡を追ってみましょう。
沖縄から日本プロ野球界へ、そして未来へと続く彼の物語には、数々の挫折と再起が刻まれています。
天賦の才を持ちながらも、その実力を発揮するまでに長い道のりを歩んできた砂川リチャード選手の姿から、私たちも多くのことを学べるのではないでしょうか。
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砂川リチャードの学歴
画像引用元:Number
砂川リチャード選手は、沖縄県内で小学校から高校まで一貫して野球に打ち込み、その基礎を固めました。
彼の野球人生の原点ともいえる学生時代を振り返ってみましょう。
小学生時代
砂川リチャード選手は、沖縄県中頭郡北中城村立北中城小学校に通っていました。
小学生の頃から野球に親しみ、「熱田フレンズ」という地元の軟式野球チームに所属していました。
この時代から野球の基礎を学び始めた砂川リチャード選手は、恵まれた体格を活かして周囲から一目置かれる存在だったようです。
父親が元アメリカ海兵隊員、母親が日本人という国際的な家庭環境も、彼のユニークな個性を育む土壌となったことでしょう。
小さい頃から野球に対する情熱を持ち、「野球小僧」と評されるほどの熱意があったといいます。
中学生時代
中学校は地元の北中城村立北中城中学校に進学しました。
ここでは軟式野球部に所属しながら、同時に「中部育成会」という硬式野球チームでも活動するという、野球漬けの日々を送っていたようです。
注目すべきは、野球だけでなく、様々なスポーツでその身体能力の高さを発揮していたことです。
中学3年生の時には中頭地区陸上競技大会の男子砲丸投げで3位に入賞するなど、マルチスポーツプレイヤーとしての一面も持ち合わせていました。
この多彩な運動経験が、後のプロ野球選手としての基礎体力づくりに役立ったのかもしれませんね。
高校生時代
中学校卒業後は、沖縄県内屈指の野球強豪校である沖縄尚学高等学校に進学しました。
沖縄尚学高校は、春の甲子園で過去2度の優勝経験がある名門校です。
砂川リチャード選手は高校でも才能を発揮し、1年生の時からベンチ入りを果たして一塁手のレギュラーとして活躍しました。
1年秋の1年生中央大会では4番打者を務め、チームを5年ぶりの優勝に導く活躍を見せました。
2年時には、秋の新人中央大会で4試合3本塁打を記録。
特に宜野座高校戦では1試合で2本塁打をマークするなど、長打力に秀でた選手としての片鱗を見せていました。
3年春の沖縄県大会では1番・三塁手として出場し、打率.444という素晴らしい成績でチームの5年ぶりの優勝に貢献しました。
県大会決勝の美里工業戦では左翼スタンドへ本塁打を放つなど、勝負強さも発揮していました。
しかし、夏の大会では準々決勝で糸満高校に惜敗し、残念ながら甲子園出場は叶いませんでした。
高校3年間での対外試合通算本塁打は25本を記録し、右の大型スラッガーとして多くのプロスカウトの注目を集めていたようです。
砂川リチャードの沖縄尚学高校でのマル秘エピソード
画像引用元:日刊スポーツ
沖縄尚学高校時代の砂川リチャード選手には、いくつかの興味深いエピソードがあります。
一つ目は、高校3年生だった2017年5月に行われた練習試合での出来事です。
当時、高校球界のスター選手だった早稲田実業の清宮幸太郎選手と対戦する機会がありました。
この試合で砂川リチャード選手自身は3打数無安打1四球という結果でしたが、清宮幸太郎選手の打撃を間近で見て大きな衝撃を受けたといいます。
「自分にないものがあるし、マネをしたい。ボール球の見逃し方とか、スイングにしても(自分自身は)崩されてしまうのですが、清宮選手は自分のスイングで振っていると感じました」と後に語っています。
特に印象的だったのは清宮幸太郎選手が放った右翼線への二塁打で、「いままでに見たことがないくらいの打球が頭の上を通り過ぎた。自分も、これ(打球の質)を超したい思いでした」と、その衝撃の大きさを伝えています。
この経験が、その後の砂川リチャード選手の成長への大きな原動力になったことは間違いないでしょう。
また、彼の長打力は高校時代から群を抜いており、名護球場のレフト場外へホームランを放ち、その打球が海まで届いたという伝説も残されています。
このエピソードは、彼の持つ破壊的なパワーを象徴するものとして、今でも語り継がれています。
沖縄尚学高校野球部の比嘉公也監督は、当時の砂川リチャード選手について「相手への圧力というのはチームで一番持っていると思います」と評価していました。
その言葉通り、彼の打席には緊張感が漂い、投手たちを威圧する存在感があったようです。
砂川リチャードが「二軍の帝王」と呼ばれる理由は?
画像引用元:女性自身
砂川リチャード選手が「二軍の帝王」と呼ばれるようになったのには、明確な理由があります。
それは、二軍(ファーム)での圧倒的な実績と、一軍での苦戦という、あまりにも対照的な状況が続いているからです。
二軍での砂川リチャード選手は、まさに「無双状態」です。
- 本塁打王: 2020年から2024年にかけて、ファーム史上最長となる5年連続でウエスタン・リーグの本塁打王に輝いています 。特に2022年にはリーグ新記録となる29本塁打を放つなど、その長打力は群を抜いています 。
- 打点王: 3年連続、通算4度の打点王も獲得しており、勝負強さも兼ね備えています 。
- その他の受賞: 優秀選手賞、技能賞、新人賞、殊勲賞なども受賞経験があり、総合的な能力の高さも証明しています 。
二軍では通算402試合で88本塁打を記録するなど(2024年シーズン終了時点の情報に基づく)、驚異的なペースで本塁打を量産しており、「脅威の打者」と評されるほどの支配的な打撃を見せています 。
しかし、その輝かしい二軍での実績とは対照的に、一軍ではなかなか結果を残せていません。
- 2024年シーズン終了時点で、一軍通算79試合に出場し打率.157と低迷
- 2025年シーズンも開幕スタメンに抜擢されるも、6試合で打率.091、0本塁打、12三振と結果を残せず、二軍降格
この二軍での圧倒的な強さと、一軍での苦戦という大きなギャップから、「二軍の帝王」というありがたくない称号が定着してしまいました。
この呼称は、砂川リチャード選手自身も認識しており、この状況からの脱却を目指し、練習に励んでいます 。
他球団のファーム首脳陣からは、その長打力は球界屈指であり、広角に本塁打を打てる技術も高く評価されているだけに、今後の飛躍が期待されます。
砂川リチャードとは?
画像引用元:Number
砂川リチャード選手についてさらに詳しく知るため、プロフィールと経歴を紹介します。
プロフィール
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砂川リチャード選手は、父親が元アメリカ海兵隊員、母親が日本人というバックグラウンドを持つハーフの選手です。
実兄の砂川ジョセフ(ジョーイ・オブライエン)選手も元プロ野球選手で、2018年のMLBドラフト6巡目でシアトル・マリナーズから指名され、マイナーリーグでプレーした経験があるなど、家族ぐるみでスポーツに親しんでいたことがうかがえます。
性格は明るく、「愛されキャラ」として知られていますが、同時に人一倍の努力家でもあります。
語学も堪能で、かつてチームメイトだったグラシアル選手やバレンティン選手とは英語で会話し、彼らの母国語であるスペイン語も独学で学んでいるといいます。
経歴
砂川リチャード選手は2017年のプロ野球ドラフト会議で、福岡ソフトバンクホークスから育成3位指名を受けてプロ入りしました。
当初は支配下での指名を望んでいたものの、「次にいつチャンスがくるか分からない」と考え直し、育成選手としてのスタートを決意しました。
福岡ソフトバンクホークス時代(2018年~2025年途中)
育成選手としてスタートした砂川リチャード選手は、2020年に支配下選手登録を獲得。同時に登録名を本名の「砂川リチャード」からミドルネームの「リチャード」に変更しました。
一軍デビューは2021年9月2日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦。
9月5日のオリックス・バファローズ戦では増井浩俊投手から満塁本塁打を放ち、プロ初本塁打を劇的な形で記録しました。
この年は一軍で34試合に出場し、打率.181、7本塁打、20打点を記録しています。
その後も主に二軍で活躍を続け、2022年には二軍でウエスタン・リーグ新記録となる29本塁打を記録するなど、その長打力に磨きをかけていきました。
しかし、一軍では出場機会が限られ、結果を残すことができない状況が続きました。
2025年シーズンは開幕スタメンに抜擢されるも、6試合の出場で打率.091、0本塁打、0打点と結果を残せず、4月4日に二軍降格となりました。
読売ジャイアンツ時代(2025年途中~)
2025年5月12日、秋広優人選手、大江竜聖選手との1対2の交換トレードで読売ジャイアンツへの移籍が発表されました。
背番号は52に決まりました。
移籍後、5月13日の広島東洋カープ戦に「7番・三塁手」で即スタメン出場し、5回に森翔平投手から移籍後初安打となる本塁打を放ちました。
これは自身3年ぶりの一軍での本塁打となりました。
新天地での砂川リチャード選手の活躍に、多くのファンが期待を寄せています。
「二軍の帝王」の称号を返上し、一軍でも実力を発揮できる日が来るのかどうか、今後の動向に注目です。
まとめ
以上が、砂川リチャード選手について、学歴からプロでの経歴、「二軍の帝王」と呼ばれる理由まで詳しく見てきました。最後にポイントを簡単にまとめたいと思います。
- 砂川リチャード選手は沖縄県出身で、北中城小学校、北中城中学校、沖縄尚学高校と地元で野球の腕を磨いた
- 高校時代から長打力に定評があり、対外試合で通算25本塁打を記録するも甲子園出場は叶わなかった
- 2017年にソフトバンクから育成3位で指名され、2020年に支配下登録獲得
- 二軍では5年連続本塁打王など圧倒的な成績を残す一方、一軍では結果を残せず「二軍の帝王」と呼ばれる
- 2025年5月に読売ジャイアンツへトレード移籍し、移籍後即座に本塁打を放つ活躍
砂川リチャード選手の経歴は、才能だけでは成功できないプロスポーツの厳しさを物語っています。
二軍では誰にも負けない圧倒的な長打力を持ちながらも、一軍での壁に長年苦しんできた彼の姿には、多くのスポーツ選手が共感するものがあるでしょう。
しかし、諦めずに努力を続け、新天地で再スタートを切った彼の姿勢には、大いに励まされます。
今後、読売ジャイアンツでどのような活躍を見せてくれるのか、そして「二軍の帝王」という称号を払拭することができるのか、その成長と活躍に期待したいと思います。
野球界にはしばしば「才能の無駄遣い」と評される選手がいますが、砂川リチャード選手はその才能を開花させるチャンスをつかむべく、今も挑戦を続けています。
彼の野球人生はまだまだ続いており、真の実力を発揮する日が来ることを、多くのファンが願っているのではないでしょうか。