読売ジャイアンツの代木大和選手は、明徳義塾高校で甲子園出場を果たし、投打にわたる活躍で注目を集めた左腕投手です。
プロ2年目には10代で開幕一軍入りという快挙を成し遂げましたが、トミー・ジョン手術という大きな試練に直面しました。
現在は育成契約から支配下登録復帰を目指し、wiki経歴や学歴とともに復活への道のりをご紹介します。
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代木大和のwiki経歴
画像引用元:日テレNEWS
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代木大和選手のプロ野球選手としての経歴を年度別に詳しく見ていきましょう。
ドラフト6位という指名順位ながら、高い制球力が評価されてプロの世界に飛び込んだ代木大和選手は、順調なスタートを切りました。
しかし、その後は怪我との戦いが続くことになります。
2022年:ルーキーイヤー
プロ1年目の代木大和選手は、主に三軍で実戦経験を積む年となりました。
二軍では4試合に登板し、0勝2敗、防御率5.59という成績を残しています。
高校時代のエースから一転、プロの厳しさを肌で感じる1年だったでしょう。
それでも着実に経験を重ね、シーズンオフには10万円増の推定年俸550万円で契約更改を果たしました。
この年は基礎を固める重要な期間だったと言えます。
2023年:飛躍と試練
2年目のシーズンは代木大和選手にとって飛躍の年となりました。
なんと球団では22年ぶりとなる10代投手での開幕一軍入りという快挙を成し遂げたのです!
4月4日の横浜DeNAベイスターズ戦でプロ初登板を果たし、1回を無失点に抑える好投を見せました。
その後も左のリリーフとして13試合に登板し、一軍の舞台で貴重な経験を積んでいきます。
しかし8月11日、左肘関節鏡視下クリーニング術を受けることが発表され、シーズンを終えることに。
それでも一軍での実績が評価され、180万円増の推定年俸730万円で契約更改しました。
2024年:トミー・ジョン手術と育成契約
復活を目指した2024年シーズンでしたが、代木大和選手にとって大きな転機となる年になりました。
春季キャンプ中の2月21日、実戦形式の打撃練習中に左腕の違和感を訴え途中降板してしまいます。
そして4月11日、左肘内側側副靭帯再建術、いわゆるトミー・ジョン手術を受けたことが発表されました。
この手術により、シーズン中の復帰は絶望的となり、9月30日に自由契約となることが発表されます。
その後、育成選手として再契約する方針が報じられ、代木大和選手の新たな挑戦が始まりました。
2025年:復活への道
背番号を「068」に変更し、育成選手として再スタートを切った代木大和選手。
長いリハビリ期間を経て、2025年6月に実戦復帰を果たしました。
復帰後は順調な回復を見せ、シーズン終了後にはオーストラリアで開催されるウィンターリーグに派遣されます。
このウィンターリーグで代木大和選手は覚醒の兆しを見せました。
力強い投球で10奪三振を記録し、現地のファンやメディアを驚かせたのです。
さらに手術前を大きく上回る最速155km/hを計測し、完全復活への期待が高まっています。
代木大和の学歴
代木大和選手の野球人生の原点となる学生時代を振り返ります。
愛媛県四国中央市で育った代木大和選手は、どのような環境で野球と出会い、技術を磨いていったのでしょうか。
小学生時代
代木大和選手は四国中央市立南小学校に通い、1年生の時に軟式野球を始めました。
地元の金田少年野球クラブに入団し、野球人生の第一歩を踏み出します。
興味深いことに、この時期は外野手としてプレーしていたそうです。
全体練習が終わった後も、父親と一緒にティーバッティングやノックなどの自主練習を重ねていました。
こうした地道な努力が、後のプロ野球選手としての土台になったことは間違いありません。
父親のサポートを受けながら野球の楽しさを知り、技術を磨いていった時期だったと言えるでしょう。
中学生時代
四国中央市立川之江南中学校に進学後、代木大和選手は硬式野球のクラブチーム「川之江ボーイズ」に所属しました。
この時期に軟式から硬式へと移行し、本格的な野球の技術を学んでいきます。
2017年のボーイズ中四国秋季大会では1回戦で岡山北ボーイズに5-4で勝利しましたが、準々決勝で東広島ボーイズに5-9で敗退しました。
翌2018年のボーイズ選手権愛媛県支部予選では、1回戦で宇和ボーイズに12-1、準々決勝で西条ボーイズに2-0と勝ち進みますが、準決勝で今治中央ボーイズに1-8で敗れています。
中学時代に硬式野球の基礎を固めたことが、高校での活躍につながる重要な土台となりました。
明徳義塾高校で甲子園出場
画像引用元:full-Count
野球の名門・明徳義塾高等学校に進学した代木大和選手は、ここでエースピッチャーとして大きく成長していきます。
しかし入学当初は腹筋も満足に行うことができないほどで、課題は山積みだったそうです。
そんな状態から這い上がり、甲子園のマウンドに立つまでの成長過程を見ていきましょう。
1年生時代
1年生の夏、チームは第101回全国高等学校野球選手権大会に出場しましたが、代木大和選手自身はベンチ外でした。
しかし明治神宮大会では9番先発ピッチャーとしてスタメン出場を果たします。
3回4安打・奪三振2・自責点1を記録し、1年生ながら確実に力をつけていることを示しました。
馬淵史郎監督は四国大会1回戦の徳島北戦で、8-1でコールド勝利寸前の7回2アウトから1年生の代木大和選手をマウンドに送り、球速132キロを記録させています。
この経験が大きな自信となったに違いありません。
2年生時代
2020年は新型コロナウイルスの影響で公式戦が全て中止となりましたが、甲子園高校野球交流試合で登板機会を得ました。
鳥取城北戦にリリーフで登板し、1回被安打3・奪三振1・自責点0を記録しています。
しかし本人は「ふがいない投球だった」と悔いが残ったようで、この試合後、馬淵監督から「投手は制球が良くないと」と厳しい指摘を受けました。
この時点で最速138キロでしたが、球速を追い求めてフォームを崩していたため、安定感を求めて投げ込んだそうです。
秋季大会からはエースとなり、この時期にカットボールを習得したことが大きな転機となりました。
馬淵監督は「カットボールを覚えて劇的に変わった」と目を細めたと言います。
3年生時代
3年春の第93回選抜高等学校野球大会1回戦では、仙台育英と対戦しました。
6番先発ピッチャーとして登板し、8回1失点と好投しましたが、援護がなく0-1で惜敗してしまいます。
しかし夏の甲子園で代木大和選手は大爆発しました!
高知大会決勝では、後にプロでライバルとなる森木大智選手(阪神タイガース)擁する高知高校と対戦し、投げ勝って優勝を飾ったのです。
全国大会3回戦の松商学園戦では、自ら先制ソロ本塁打を放ち、投げては3安打完封勝利を収めるという離れ業を見せました。
準々決勝の智辯学園戦では一塁手として先発出場し、9回に2試合連続となる勝ち越しソロ本塁打を放ちます。
残念ながらその裏にチームは逆転サヨナラ負けを喫しましたが、投打にわたる活躍は多くの野球ファンの記憶に残りました。
2026年シーズンへの期待
画像引用元:週刊ベースボールONLINE
代木大和選手は2026年シーズンに向けて、トミー・ジョン手術からの完全復活と支配下登録復帰を目指す重要な年を迎えます。
2025年12月23日の契約更改では、10万円減の年俸620万円でサインしました。
本人は「この2年間、リハビリに費やしてすごく苦しい思いもした。来季、しっかり爆発したい」と力強く語っています。
先発投手としての復帰を強く希望しており、「自分としても先発でと思いはありますけど、与えられた場所でしっかり結果を残せるように頑張っていきます」と述べています。
球団からは「来季は左ピッチャーが増えて、厳しい戦いになるけど、そこに割って入ってほしい」という期待の言葉をかけられているそうです。
オーストラリア・ウィンターリーグでは最終登板で5回2死まで無安打投球を披露し、10奪三振を記録するなど復活の兆しを見せました。
三軍戦では最速155km/hを計測し、手術前よりも球速が向上していることが確認されています。
複数のメディアが代木大和選手を2026年開幕前の支配下昇格候補として挙げており、早期の支配下復帰が期待されているのは心強いですね。
2026年シーズンは井上温大選手、横川凱選手、ドラフト1位の竹丸和幸選手、同3位の山城京平選手らと左の先発枠を争うことになります。
この厳しい競争環境について、代木大和選手は「ライバル意識はありますけど、自分がいいパフォーマンスを出せれば戦っていける」と前向きに捉えています。
まとめ
代木大和選手は明徳義塾高校で甲子園出場を果たし、投打にわたる活躍でプロの世界へ進みました。
2023年には10代で開幕一軍入りという快挙を成し遂げましたが、トミー・ジョン手術という大きな試練に直面します。
現在は育成契約から支配下登録復帰を目指し、オーストラリアでのウィンターリーグでは最速155km/hを記録するなど復活の兆しを見せています。
2026年シーズンでの完全復活が大いに期待される将来有望な左腕です。


