埼玉西武ライオンズのエース今井達也投手は、栃木県鹿沼市出身のプロ野球選手です。
作新学院高等学校時代、3年生の夏に甲子園で54年ぶりの全国制覇を達成した優勝投手として一躍脚光を浴びました。
小学生から野球を始め、中学時代には陸上競技にも取り組みながら身体能力を向上させ、高校では制球難を乗り越えてエースへ成長。
プロ入り後も着実にキャリアを重ね、現在はチームの中心投手として活躍しています。
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今井達也のプロフィール
画像引用元:パ・リーグ.com
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今井達也投手は最速160km/hに達する剛速球と切れ味抜群のスライダーを武器とする本格派右腕投手として知られています。
かつては制球難が課題でしたが、近年は安定感が飛躍的に向上し、長いイニングを投げ抜くスタミナも兼ね備えるようになりました。
投手として影響を受けた選手にダルビッシュ有投手を挙げており、研究熱心な姿勢でも定評があります。
プロ入り時は岸孝之投手が着用していた背番号11番を継承し、現在もその番号でプレーを続けています。
今井達也の学歴
今井達也投手の野球人生は幼少期から段階的に積み上げられてきました。
小学生時代の野球への情熱、中学時代の陸上との両立による身体能力向上、そして高校時代の劇的な成長と甲子園制覇まで、各時代で着実にステップアップを重ねてきた経歴は非常に興味深いものがあります。
小学生時代
今井達也投手の野球キャリアは小学1年生から始まりました。
プロ野球選手への憧れを抱いた彼は、地元の軟式野球チーム「北光スポーツ少年団野球部」に入団し、投手一筋でプレーを開始しました。
実は野球を始める前の5歳頃から、自宅近くの小学校の校庭で父親とキャッチボールに興じており、幼少期からボールに親しんでいたのです。
チームに所属してからは野球への情熱が人一倍強く、放課後になるとバットとグローブを手に小学校のグラウンドへ直行し、日が暮れるまで練習に打ち込む日々を送っていました。
特に注目すべきは遠投練習への取り組みです。
遊び感覚で始めた遠投が、後の強靭な地肩を育む重要な基礎となりました。
当時から投げるボールの速さは周囲の少年たちを上回っており、早くも才能の片鱗を見せていたのが印象的です。
小学生時代には全国大会出場も経験し、高いレベルでのプレーが競争心を養う糧となりました。
中学生時代
鹿沼市立西中学校に進学後、今井達也投手は硬式野球の世界へと足を踏み入れました。
ポニーリーグに所属する「鹿沼レッドソックス」に入団し、より本格的な野球に取り組み始めたのです。
中学3年生の夏には全国大会出場を果たし、着実に実力を向上させました。
中学時代で特筆すべきは、野球チームでの活動と並行して学校の陸上部にも所属していたことです。
これは同じ西武ライオンズの先輩である秋山翔吾選手と同様の経歴で、走り込みを通じて野球の基礎となる足腰を徹底的に鍛える狙いがありました。
陸上部では短距離ダッシュ系の練習を重点的に行い、特に走り幅跳びでその才能を開花させています。
中学3年時の地区陸上大会では県大会6位入賞という輝かしい成績を収めました。
体のバネと瞬発力に自信を持つようになったこの経験が、後の「幅跳び投法」とも称されるダイナミックな投球フォームの礎となったのです。
興味深いのは、後にチームメイトとなる入江大生投手が中学時代から有名選手として知られていたのに対し、今井達也投手は当時まだ無名の存在だったことです。
この差が後の負けん気に火をつけ、急成長のきっかけになったと考えられます。
高校生時代
画像引用元:BASEBALL GATE
作新学院高等学校での3年間は、今井達也投手にとって無名の存在から甲子園優勝投手へと劇的に変貌を遂げた期間でした。
入学当初は同級生の入江大生投手が既に有名選手として注目されていたのに対し、今井達也投手は「俺は3年間スタンド応援だ…」と衝撃を受けるほど実力差を感じていました。
1、2年生時代は球速はあったものの制球難に悩まされ続けました。
2年生の夏には背番号11でベンチ入りを果たしたものの、甲子園メンバーからは外れる悔しい経験を味わいます。
当時の評価は「スピードは速いけれど、コントロールが悪い」というものでした。
転機が訪れたのは3年生の春です。
冬場のトレーニングで下半身が鍛えられた結果、「キャッチャーが構えたところに、だいたい投げられるようになった」のです。
さらに「自分がやらないとダメなんだ」という強い自覚を持てたことが成長に拍車をかけました。
憧れの大谷翔平選手のフォームを研究し、練習嫌いから一転して研究熱心な投手へと変貌したのです。
そして2016年夏の甲子園で、今井達也投手は一気にスターダムへと駆け上がりました。
入江選手の一塁コンバートによって再びエース番号を背負い、甲子園全5試合で41イニング、被安打29、44奪三振、防御率1.10という圧倒的な成績を記録。
作新学院を54年ぶりの優勝に導く原動力となりました。
特に印象的だったのは、大会前の「高校ビッグ3」(寺島成輝、藤平尚真、高橋昂也)の呼称が、大会途中から今井選手を加えた「高校ビッグ4」に変わったことです。
まさにシンデレラボーイとして野球界に衝撃を与えたのです。
今井達也のプロ経歴
甲子園での活躍を受けてプロの世界に足を踏み入れた今井達也投手ですが、プロでの道のりも決して平坦ではありませんでした。
制球難との戦い、先発ローテーション定着への努力、そしてエースへの飛躍まで、段階的な成長を遂げてきた軌跡を詳しく見ていきましょう。
ドラフト指名とプロ入り
画像引用元:毎日新聞
2016年9月にプロ志望届を提出した今井達也投手は、同年のドラフト会議で埼玉西武ライオンズから単独1位指名を受けました。
契約金1億円プラス出来高5000万円、年俸1300万円(推定)という好条件で入団契約を締結し、岸孝之投手が着用していた背番号11番を継承したのです。
甲子園での圧巻の投球が評価されての1位指名でしたが、プロの壁は想像以上に高いものでした。
プロ1年目の2017年は一軍登板がなく、二軍で基礎から経験を積み直すこととなります。
高校時代の制球難が再び課題として浮上し、プロレベルでの修正が必要でした。
キャリアの変遷
画像引用元:full-Count
2018年6月13日、ついに一軍初出場を果たした今井達也投手は、この年15試合に登板して5勝を挙げました。
しかし本格的な活躍はまだ先のことで、2019年から先発ローテーションに定着するものの、2021年頃まで好不調の波が激しい状態が続きました。
特に2021年シーズンは象徴的でした。158.1イニングを投げ137奪三振を記録する一方で、リーグワーストの99四球を与えてしまいます。
持ち味である威力あるストレートと奪三振能力の高さは十分に発揮していましたが、与四球の多さが安定感を欠く要因となっていました。
この時期の今井達也投手は、高い能力を持ちながらも制球面でのムラが大きく、チームとしても起用に苦慮する場面が多々ありました。
ファンからも「当たれば大きいが、いつ崩れるか分からない」という評価を受けることも少なくありませんでした。
エースへの飛躍
画像引用元:パ・リーグ.com
今井達也投手にとって大きな転機となったのは2023年シーズンです。
この年、19試合の登板で自身初の2桁勝利となる10勝を挙げ、防御率も2.30と飛躍的な安定感の向上を見せました。
制球面での課題を克服し、長いイニングを投げ抜く安定したピッチングが評価されたのです。
この活躍が認められ、シーズン後には「第2回アジアプロ野球チャンピオンシップ」の日本代表にオーバーエイジ枠で選出されました。
韓国との決勝戦に先発登板し、金メダル獲得に貢献したことは今井達也投手のキャリアにとって大きな自信となったに違いありません。
2024年シーズンはさらなる飛躍を遂げ、自身初の開幕投手を務めました。
2年連続の2桁勝利を達成し、最終的に187奪三振を記録して初の個人タイトルとなる最多奪三振を獲得。
完全にチームのエースとしての地位を確立したのです。
2025年シーズンも進化は止まらず、4月18日のソフトバンク戦では平良海馬投手との継投でノーヒットノーランを達成しました。
6月17日の横浜DeNA戦では松坂大輔の記録を更新する球団新記録の1試合17奪三振を記録するなど、リーグを代表するエース投手として完全に覚醒したのです。
年度別成績
画像引用元:スポニチSponichiAnnex
今井投手のプロでの年度別主要成績を見ると、着実な成長の軌跡がよく分かります。
年度 | 登板 | 勝利 | 敗戦 | 投球回 | 防御率 | 奪三振 | WHIP |
---|---|---|---|---|---|---|---|
2018 | 15 | 5 | 5 | 78.2 | 4.81 | 65 | 1.386 |
2019 | 23 | 7 | 9 | 135.1 | 4.32 | 105 | 1.470 |
2020 | 19 | 3 | 4 | 61.2 | 6.13 | 44 | 2.011 |
2021 | 25 | 8 | 8 | 158.1 | 3.30 | 137 | 1.402 |
2022 | 9 | 5 | 1 | 59.2 | 2.41 | 61 | 1.190 |
2023 | 19 | 10 | 5 | 133.0 | 2.30 | 130 | 1.113 |
2024 | 25 | 10 | 8 | 173.1 | 2.34 | 187 | 1.165 |
通算 | 157 | 51 | 41 | 835.1 | 3.46 | 774 | 1.40 |
※通算成績は2025年シーズン途中まで含む
2020年の苦しいシーズンを経て、2021年から徐々に持ち直し、2023年以降は完全にエースクラスの成績を残していることが数字からも明確に読み取れます。
特に防御率の安定と奪三振数の向上は、制球力向上と球威の両立を物語っています。
まとめ
今井達也投手は栃木県鹿沼市出身で、小学生時代から野球に打ち込み、中学では陸上との両立で身体能力を向上させました。
作新学院高校時代は制球難に苦しみながらも、3年生の夏に甲子園で54年ぶりの全国制覇を達成する優勝投手となり一躍脚光を浴びます。
2016年ドラフト1位で埼玉西武ライオンズに入団後、プロでも制球面で苦労しましたが、2023年以降はエースとして完全に覚醒し、現在はチームを牽引する存在となっています。