周東佑京のwiki経歴と学歴!50m走は驚異の5.7秒!子供の頃から早かった?

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福岡ソフトバンクホークスに所属する周東佑京選手は、球界屈指の俊足で知られるプロ野球選手です。

50m走は驚異の5.7秒と言われ、子供の頃から誰よりも速かったと伝えられています。

本記事では周東佑京選手のwiki経歴と学歴を詳しく解説し、その圧倒的なスピードがどのように磨かれてきたのかに迫りたいと思います。

周東佑京のwiki経歴

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周東佑京選手は、育成ドラフト出身ながら国内外で数々の記録を打ち立ててきた、まさに時代を象徴する選手です。

外野手としてはもちろん、複数のポジションをこなすユーティリティ性も高く評価されています。

  • 氏名:周東佑京(しゅうとう うきょう)
  • 生年月日:1996年2月10日(30歳)
  • 出身地:群馬県新田郡藪塚本町(現:太田市)
  • 身長/体重:180cm/74kg
  • 投打:右投左打
  • 血液型:A型
  • ポジション:外野手・二塁手・三塁手・遊撃手
  • 背番号:23

その名前の由来も興味深く、1990年代にF1レーサーとして活躍した片山右京さんにちなんでつけられたとのこと。

名前からして「スピード」との縁を感じさせます。

プロ入り後の経歴

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2017年のプロ野球ドラフト会議で、福岡ソフトバンクホークスから育成ドラフト2位の指名を受け、周東佑京選手はプロ野球の世界に飛び込みます。

育成枠というスタートラインに立ちながら、その圧倒的なスピードは瞬く間に球団内で注目を集め、2019年シーズン途中に支配下選手登録を勝ち取りました。

飛躍のシーズンとなったのは2020年です。

シーズン最終戦で50個目の盗塁を成功させ、育成ドラフト出身選手としてNPB史上初となる盗塁王のタイトルを獲得

さらにシーズン中には13試合連続盗塁という世界記録まで打ち立て、コミッショナー特別表彰も受けています。

また、足だけでなく打撃面でも大きな成長を見せ、9月・10月は2ヶ月連続で月間打率3割超えを達成。

日曜日の試合では打率.458という驚異的な数字を叩き出し「サンデー佑京」とも呼ばれるようになりました。

以下に主要な年度別成績をまとめます。

年度 試合 打率 安打 本塁打 打点 盗塁
2019 102 .196 20 1 6 25
2020 103 .270 83 1 27 50
2021 70 .201 34 3 5 21
2022 80 .267 77 5 15 22
2023 114 .241 57 2 17 36
2024 123 .269 115 2 26 41
2025 96 .286 110 3 36 35
通算 688 .259 496 17 132 230

(出典:日本野球機構(NPB)公式サイトのデータを基に作成)

2026年1月には5年総額20億円+出来高の大型複数年契約を締結し、2026年の年俸は4億円に達しました。

育成入団時の年俸400万円からわずか数年で到達した数字であり、まさに球界屈指のサクセスストーリーと言えるでしょう。

日本代表としての活躍

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周東佑京選手は国際大会でも「侍ジャパン」の一員として欠かせない存在となっています。

2018年U-23ワールドカップ、2019年WBSCプレミア12と代表に選出されてきた周東佑京選手ですが、特に多くの人の記憶に刻まれているのが2023年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)での活躍でしょう。

準決勝メキシコ戦の9回裏、1点ビハインドの場面で代走として登場した周東佑京選手は、無死一塁の状況から村上宗隆選手のセンターオーバー打球を受けて猛然とスタート。

一塁からサヨナラのホームを踏む歴史的な走塁でチームを劇的な勝利に導きました。

このシーンは「周東は一塁でも得点圏」という言葉を野球ファンの間に広め、日本の世界一に向けた大きな原動力となっています。

盗塁王は2020年・2023年~2025年の計4回獲得。

ベストナインやゴールデングラブ賞も複数回受賞しており、足だけでなく守備面での評価も年々高まっています。

これだけの数字を残しながらも「まだ成長できる」と貪欲に取り組む姿勢こそ、周東佑京選手の最大の魅力ではないでしょうか。

周東佑京の学歴

周東佑京選手の圧倒的なスピードは、一朝一夕に生まれたものではありません。

小学生時代の原体験から始まり、中学・高校・大学とそれぞれの時代に重要な出会いや経験があり、今の姿が形成されています。

ここでは学生時代を時系列でたどっていきましょう。

鬼ごっこで捕まった事がなかった小学生時代

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周東佑京選手が生まれ育ったのは、群馬県新田郡藪塚本町(現・太田市)です。

太田市立藪塚本町小学校に通い、小学校2年生で地元の軟式野球チーム「藪塚リトルファイターズ」に入団しています。

幼少期から体格は細く華奢でしたが、足の速さは別格でした。

本人が「鬼ごっこで捕まった記憶がない」「誰にも負けなかった」と話しているほどで、地元では「野ウサギを追いかけて捕まえていた」という逸話まで語り継がれているそうです(本人は笑って否定しているとのことですが)。

この俊足には遺伝的な背景もあります。

父親の孝宜さんも足が速く、父方の親族には1992年バルセロナ五輪代表で110mハードルの元日本記録保持者・岩崎利彦さんがいます。

岩崎氏は周東佑京選手の走るフォームが父親と「そっくりだ」と語っているとのことで、血筋のすごさを感じさせます。

一方で、打撃には苦手意識を持っていました。

「力がなくてパワーがないから打撃が嫌いだった」と周東佑京選手自身が振り返っており、打順はほぼ2番。

サインがなくても自らバントを選択するような選手だったといいます。

それほど足一本で勝負していた少年時代だったわけです。

能力が開花した中学生時代

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太田市立藪塚本町中学校に進学後、硬式野球の「太田ボーイズ」に所属した周東佑京選手。

このチームでの経験が、のちの飛躍を支える重要な土台となっています。

監督の檜野武一氏は、「足が一番速いわけではなかった」と当時を振り返っています。

小柄でシャイな性格だった周東佑京選手の中に、檜野監督が見出したのはスピードではなく「感性」と「危機管理能力」の高さでした。

練習終盤、周りの選手が疲労で声を出せなくなっている中、周東佑京選手だけは一人全力で声を出しながら走り続けていたといいます。

「怠けたら監督に怒られると分かっていた。本当に周りが見える子だった」と檜野監督は語っており、状況判断力の高さが際立っていたことがわかります。

また、チームでは背番号「20」が与えられました。

これはチームが初めて全国大会に出場した時のキャプテンがつけていた由緒ある番号です。

「小さな子には1桁の番号を渡すことが多かったが、佑京にはこの番号を渡した」と檜野監督は明かしており、リーダーとしての素質を高く評価していたことが伝わります。

この「20」は後にWBCでも着用することになり、縁のある番号として語り継がれています。

努力と挫折の高校生時代

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2011年に東京農業大学第二高等学校(東農大二)へ進学した周東佑京選手。

加藤監督(現同校校長)のもとで3年間プレーします。

入学時の第一印象について、加藤監督は「本当に華奢で不安になった」と語っています。

しかし練習への取り組みは誰よりも真剣で、周東佑京選手は片道2時間かけて通学しながら、夜9時まで居残り練習を一度も欠かさなかったといいます。

この姿勢こそが、のちの成功の礎になったと言っても過言ではないでしょう。

3年時には主将を任され、「2番・遊撃手」として夏の群馬大会に出場

17打数7安打・打率.412・5盗塁という申し分ない成績を残し、チームを決勝へと導きました。

ところが決勝では、後にプロ入りする髙橋光成投手を擁する前橋育英高等学校に敗退。

甲子園の夢を逃すという悔しい結末を迎えます。

この挫折がなければ、今の周東佑京選手はいないかもしれません。

主将として仲間を引っ張り、全力を尽くしたうえでの敗北だからこそ、その経験が深く刻まれたのでしょう。

プロ意識が芽生えた大学生時代

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高校卒業後、周東佑京選手は東京農業大学北海道オホーツクキャンパス(北海道オホーツク硬式野球部)に進学します。

北海道の網走市に位置し、厳しい気候条件のもとで野球を続ける環境は、精神面でも大きな鍛錬となりました。

プロを意識し始めたのは大学1、2年生のころ。

「同じ大学の先輩がプロに入ったことが大きなきっかけになった」と周東佑京選手は語っており、「この4年間はプロを目指してやる」という決意に変わっていったといいます。

1年時からレギュラーとして起用され、主に「1番・遊撃手」や「1番・中堅手」として全国大会にも3度出場

チームの中心選手として着実にキャリアを積み上げていきます。

この時期に大きな影響を与えたのが樋越監督の存在です。

「プロになれるぞ」と繰り返し言い聞かせるように導き、「お前もその気になってやるように」という言葉が周東佑京選手の意識を大きく変えました。

設備に恵まれた環境ではなかったにもかかわらず、厳しい練習と指導者の熱意が周東佑京選手を確実にプロへの道へと押し上げていきます。

そして2017年のドラフト会議当日、網走で自分の名前が呼ばれるのをひたすら待ち続けた周東佑京選手。

福岡ソフトバンクホークスから育成ドラフト2位指名を受け、長年の夢がついに現実となりました。

ファームでは大卒ということもあり「周東さん、いけ!」と先輩扱いで声がかかるほど、周囲からも一目置かれる存在でした。

まとめ

周東佑京選手は幼少期から備わった天性の俊足を、努力・挫折・恩師との出会いによって磨き上げてきた選手です。

50m走5.7秒という驚異的なスピードは、長年の積み重ねから生まれたもの。

育成ドラフト出身から盗塁王4回・WBC世界一に貢献と、そのサクセスストーリーはこれからも続きます。