ダルビッシュ有は若い頃から凄かった!幼少期からプロ入りまでのエピソードを紹介!

ダルビッシュ有 若い頃

メジャーリーグのサンディエゴ・パドレスに所属するピッチャー・ダルビッシュ有選手。

日本プロ時代は5年連続防御率1点台を記録し、2009年や2023年のWBCでは日本代表を優勝に導いたという経歴を持ち合わせています。

そんなダルビッシュ有選手ですが、幼少期や高校生の時からすでに凄かったのでしょうか?

この記事では、ダルビッシュ有選手の幼少期からプロ入りまでのエピソードを解説します。

ダルビッシュ有の幼少期

ダルビッシュ有選手の幼少期について解説します。

スポーツエリートの血を引く幼少期

 

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1986年8月16日、ダルビッシュ有選手は大阪府の羽曳野市で、3人兄弟の長男として生まれました。

ダルビッシュ有選手の母親は日本人ですが、父親はイラン出身のダルビッシュ・セファット・ファルサさんです。

父親のファルサさんは、プロサッカー選手を志してフロリダ州のタンパ大学に留学し、フロリダ代表にまで登り詰めました。

怪我によりプロ選手になることはできませんでしたが、あと一歩でプロになれるほどのアスリート能力を持ったスポーツエリートであることは間違いありません。

ダルビッシュ有選手は父親の影響があり、幼少期はサッカーをしていたそうです。

しかし、6歳の時に1993年6月9日の巨人対ヤクルトの試合を観戦し、巨人の篠塚和典選手が伊藤智仁投手からサヨナラホームランを打ち、選手が喜んでいる姿を見て野球を始めました。

驚異の運動能力で幼少期から才能を発揮

ダルビッシュ有選手は、小学2年生の時に地元のチーム「羽曳野ブラックイーグルス」で野球を始めました。

当時はアイスホッケーもやっており、野球と掛け持ちしていたとのこと。

小学生時代はそれほど身長が高くなかったようですが、父親譲りの運動能力で幼少期からスポーツの才能を発揮していたようです。

ダルビッシュ有の中学時代は飛躍の時期

ダルビッシュ有選手の中学時代は、野球選手として飛躍の時期になりました。

ダルビッシュ有選手の中学時代について解説します。

全国大会で注目を集めた圧巻の投球

ダルビッシュ有選手は、中学生になると学校の野球部ではなく、地元の強豪チーム「オール羽曳野ボーイズ」に入団しました。

入団当初は目立った存在ではなかったダルビッシュ有選手ですが、中学3年生の時にはエースで活躍していたようです。

球速は1年生の時には120km/hでしたが、3年生の時には144km/hにまで上がっています。

また、ダルビッシュ有選手は中学時代ですでに変化球を7〜8個ほど持っていたそうです。

ダルビッシュ有選手は全国大会でも144km/hの豪速球で活躍し、3年生の時に全国大会ベスト8、世界大会3位という結果を残しました。

チームを牽引するリーダーシップ

ダルビッシュ有選手が中学時代に急成長したのは、チームを牽引するリーダーシップがあったからだと言われています。

ダルビッシュ有選手は、オール羽曳野ボーイズ時代一度も休むことなく練習に参加していたそうです。

その姿をチームメイトも手本とし、チームの結束力が固くなることで、オール羽曳野ボーイズは全国大会ベスト8という輝かしい成績を収めたと考えられます。

未来のエースとよばれた高校時代

ダルビッシュ有選手は高校入学時から未来のエースとして期待されていました。

ダルビッシュ有選手の高校時代について解説します。

名門・東北高校での活躍

 

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ダルビッシュ有選手は、高校入学前、36校の高校から声が掛かったそうです。

ダルビッシュ有選手は、寮生活で親元を離れられることと上下関係が緩いことを条件に、宮城県の東北高等学校に入学しました。

入学直後は成長痛に苦しみながらも、1年生の秋からエースとして背番号1番を背負っています。

東北高校でのダルビッシュ有選手の主な活躍は、以下の通りです。

  • 1年生:10月の東北大会優勝
  • 1年生:明治神宮野球大会ベスト4
  • 2年生:選抜高等学校野球大会(春の甲子園)3回戦敗退
  • 2年生:全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園)準優勝
  • 3年生:選抜高等学校野球大会(春の甲子園)ベスト8
  • 3年生:全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園)3回戦敗退

ダルビッシュ有選手は、明治神宮野球大会の平安高校戦で全国デビューし、147km/hの速球を披露し、12奪三振で完封勝利を収めました。

その後も好調を維持し、高校3年生の横浜高校戦で150km/hを記録するまでに成長しました。

甲子園を沸かせた圧倒的なピッチング

ダルビッシュ有選手は、2年生春夏、3年生春夏と甲子園に4度出場しました。

2年生の夏の甲子園では、決勝戦で常総学院高校に敗れて準優勝となり、惜しくも優勝を逃します。

3年生の春の甲子園では、1回戦で熊本工業戦で大会史上12回目、10年ぶりのノーヒットノーランを達成し、ベスト8進出に大きく貢献しました。

最後の甲子園は3回戦敗退に終わってしまったものの、1回戦から2試合連続完封を達成し、世代ナンバーワンの投手として注目されるようになりました。

プロのスカウトたちに映った天才の資質とは?

高校時代は世代ナンバーワン投手として活躍していたダルビッシュ有選手ですが、プロのスカウトの目にはどのように映っていたのでしょうか。

プロ野球ドラフトで注目されたダルビッシュ有の資質

 

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高校1年生からエースとして活躍していたダルビッシュ有選手ですが、スカウトの間では性格面をめぐって評価が分かれていたそうです。

当時、ダルビッシュ有選手は練習嫌いという噂があり嫌いという噂があり、実際にスカウトの前で練習する姿を見せることはほとんどありませんでした。

ダルビッシュ有選手が高校時代練習をあまりしなかったのは成長痛が原因ですが、性格面の評価が悪かったため、ドラフト1位指名を躊躇する球団が多かったそうです。

結果、2004年のドラフトでダルビッシュ有選手を1位指名したのは日本ハムのみでした。

入団前後のエピソードと周囲からの期待

ドラフト1位で加入したダルビッシュ有選手でしたが、性格面に対しては否定的な声もありました。

実際、ダルビッシュ有選手は二軍の春季キャンプ中に、高校在学中にもかかわらずパチンコ店でタバコを吸っている姿が報道され問題になりました。

しかし、性格面での不安を上回るほど、周囲からの期待は大きかったです。

入団して半年後の2005年6月には一軍に登録され、6月15日の広島東洋カープ戦で初登板でプロ初勝利を挙げています。

その後も活躍を続け、プロ2年目での契約更新では年俸が1500万円増となる3000万円にまで上がりました。

ダルビッシュ有が残した高校時代の伝説

最後に、ダルビッシュ有が残した高校時代のエピソードを紹介します。

忘れられない甲子園での活躍

 

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2003年夏の甲子園、2年生のダルビッシュ有選手は初戦で腰を痛め2回で降板してしまったものの、近江、平安との2試合は連続で完投しました。

特に平安戦では延長11回まで投げ切り、奪15三振・2安打完封を記録します。

また、準決勝では5回を投げ、11人連続を含む13三振を奪い東北高校の決勝進出に貢献しました。

決勝戦で常総学院に2対4で敗れましたが、この大会でダルビッシュ有選手の名前が全国に広まることとなったのです。

プロ入りを決定づけた運命の試合

ダルビッシュ有選手のプロ入りを決定づけた運命の試合の一つに、3年春の熊本工業相手のノーヒットノーランが挙げられます。

初回、サードが一塁に悪送球する場面があり波乱の幕開けでしたが、2番打者をファウルフライ、3番打者を空振り三振、4番打者を見逃し三振に抑えました。

その後もダルビッシュ有選手はスコアボードに0を重ね、129球のノーヒットノーランを大舞台で達成します。

春の甲子園でノーヒットノーランを達成したのはダルビッシュ有選手で12人目だったため、ダルビッシュ有選手はプロからも大きく注目されるようになりました。

まとめ

この記事では、ダルビッシュ有選手の幼少期からプロ入りまでのエピソードを解説しました。

今回、ダルビッシュ有選手についてわかったのは、以下の通りです。

  • 父親のファルサさんは元サッカー選手
  • 中学生でオール羽曳野ボーイズに加入し、大きく飛躍した
  • 高校3年生の横浜高校戦で150km/hを記録している
  • 3年生の春の甲子園では大会12人目のノーヒットノーランを達成している
  • プロのスカウトでは性格面で評価が分かれていた

ダルビッシュ有選手は若い頃からすごい選手で、素晴らしい経歴を持っている方です。

しかし、活躍の裏には絶え間ない努力があるはずであり、ダルビッシュ有選手に真面目な一面があったからこそ、ここまでの選手に成長したのでしょう。