2023年に史上9人目となる通算200セーブを達成するなど、日本を代表するストッパーである松井裕樹選手。
2024年からはMLBのサンディエゴ・パドレスに移籍し、舞台をアメリカへと移しました。
そんな松井裕樹選手といえば、甲子園での活躍を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。
大会史上最多の10連続奪三振と1試合22奪三振など素晴らしい活躍でしたよね。
鳴り物入りで入団した東北楽天ゴールデンイーグルスでも6度のシーズン30セーブを挙げるなどチームの中心選手として大活躍しました。
そして5年総額40億円の大型契約でMLBへと移籍。ダルビッシュ有選手と同じチームということでも注目を集めました。
このように順調な野球生活を送っている松井裕樹選手は、小学校の頃から素晴らしい成績を残してきたそうです。
今回の記事では、松井裕樹選手のプロフィールや経歴、学生時代のエピソードについて詳しく紹介していきます。
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松井裕樹選手のプロフィール
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- 名前:松井裕樹(まついゆうき)
- 出身地:神奈川県横浜市
- 投打:左投左打
- 身長:174cm
- 体重:74kg
- 生年月日:1995年10月30日
- 経歴:桐光学園高等学校、東北楽天ゴールデンイーグルス (2014 – 2023)、サンディエゴ・パドレス (2024 – )
甲子園で大会史上最多の10連続奪三振と1試合22奪三振を記録するなど大注目の中、2013年のドラフト会議で5球団から1位指名を受け、抽選の結果、東北楽天ゴールデンイーグルスに入団。
代名詞のスライダーをはじめ、最速154キロのストレート、チェンジアップ、カーブ、フォークボールなど多彩な変化球を武器に打者を打ち取る投球スタイルで、本人は三振にはこだわっていないと語っている。
プロ2年目の2015年から楽天の抑えを務め、合計3度の最多セーブ投手に輝くなど、日本を代表する抑えへと成長した。
そして、2024年からサンディエゴ・パドレスでプレーしている。
松井裕樹選手の学歴
小学生時代(横浜市立山内小学校)
横浜市立山内小学校に通っていた松井裕樹選手は、小学2年生のときに「元石川サンダーボルト」で野球を始めました。
小学校時代の松井裕樹選手は横浜ベイスターズジュニアに入ることを目標にしていたそうです。
そして5年生のときにセレクションに挑戦するも落選してしまいます。
合格を目指し再度6年生でセレクションを受験すると、見事合格し、NPBジュニアトーナメントに出場しました。
結果は予選敗退でした。
画像引用元:横浜ベイスターズジュニアチーム
こちらが松井裕樹選手が所属していた2007年の横浜ベイスターズジュニアの選手達です。
松井裕樹選手は、背番号10でしたので、最前列の監督の右隣に座っている少年です。
中学生時代(横浜市立山内中学校)
画像引用元:ADVANK
横浜市立山内中学校への進学後は、シニアリーグの強豪・青葉緑東シニアに所属しました。
横浜ベイスターズジュニアに選ばれたほどの実力があった松井裕樹選手でしたが、入部から二年間はエースになれなかったそうです。
しかし、長きにわたってプロ野球界でピッチングコーチを歴任してきた小谷正勝さんや高校球界の強豪・浦和学院の森監督など、頭角を現す前から松井裕樹選手の将来性を指摘する人もいたそうです。
そんな期待を背負いながらすさまじい成長を果たし、中学3年生の頃にはWエースの一角としてチームの主力選手へと成長しました。
そして中学3年の夏にはチームをリトルシニア日本選手権大会優勝に導きました。
決勝戦では完封勝利を挙げる活躍ぶりだったそうです。
高校生時代(桐光学園高校)
画像引用元:讀賣新聞オンライン
桐光学園高校へ進学すると、1年夏からダブルエースの一角を担うほどの活躍でした。
横浜高校との決勝では、乙坂智や近藤健介、柳裕也などを擁する横浜打線を相手に4回無失点と好投しますが、チームはサヨナラ負けを喫します。
その後チームのエースとして成長し、高校2年のときには背番号1を背負い、甲子園に出場します。すると今治西高校との1回戦で、大会史上最多の10連続奪三振と1試合22奪三振を記録し、松井裕樹選手は一躍有名になりました。
さらに2回戦の常総学院高校戦でも19奪三振を挙げ、2試合で計41奪三振という記録を残しました。
これは板東英二さんが持っていた2試合合計の最多奪三振記録を更新しました。
その後も快投は続き、3回戦の浦添商業高校戦では12奪三振、準々決勝の光星学院高校戦では15奪三振を挙げました。
しかし、チームは準々決勝で敗れてしまいました。
1大会通算68奪三振は夏の甲子園では歴代3位の記録であり、左腕投手としては史上最多記録となりました。
日本中の注目を集めて臨んだ3年夏は、神奈川大会準々決勝で横浜高校に敗れ、甲子園出場は叶いませんでした。
8月には第26回AAA世界野球選手権大会日本代表に選出され、エースとして活躍するも、決勝戦で3失点を喫し、準優勝という結果に終わりました。
神奈川大会と世界大会と2つの大会に負けてしまい、松井裕樹選手は「最後は悔しい思いばかりした」と語っていました。
松井裕樹選手にとって高校野球は悔しいものとなっているのかもしれないですね。
松井裕樹選手の経歴
楽天ゴールデンイーグルス時代
画像引用元:DAZN
2013年のドラフト会議で5球団競合の末、楽天ゴールデンイーグルスに入団しました。
1年目のオープン戦から結果を残し、開幕ローテーション入りを果たしますが、4度目の先発登板で制球難を露呈してしまい、4月末に抹消されてしまいます。
6月に再度1軍登録を果たし、1年目は4勝8敗、防御率3.80という成績でした。2015年の2年目からは抑えに転向し、33セーブを挙げ、防御率0.87という好成績を残しました。
その年に行われたオールスターゲームのファン投票では、パ・リーグの抑え投手部門で1位を獲得するなど松井裕樹選手にとって飛躍の年になりました。
2016年、2017年も抑えに定着し、3年連続30セーブを達成しましたが、これはNPB史上7人目の大記録でした。
2018年には救援に失敗する試合が続き、二軍降格を経験するなど思うような活躍ができない中でも、NPB史上31人目の一軍公式戦通算100セーブを達成しました。
これは史上最年少記録でした。2019年には抑えに返り咲き、38セーブを記録し、最多セーブのタイトルを獲得しました。
2020年、2021年は不調や怪我などもあり苦しみましたが、2022年には32セーブを記録し、2回目の最多セーブのタイトルを獲得しました。
また、これが自身5度目のシーズン30セーブとなり、これはパ・リーグ史上初の大記録でした。
2023年には史上9人目となる通算200セーブを達成するなど誰もが認める日本を代表するストッパーとなり、オフシーズンに海外FA権を行使しました。
NPB時代の通算成績は、501登板で25勝46敗236セーブ、防御率2.40という成績でした。
サンディエゴ・パドレスへ移籍
画像引用元:THE ANSWER
サンディエゴ・パドレスと5年総額40億円の大型契約を結び、MLBに移籍しました。
クローザーを専門職とする日本人左腕のMLB挑戦は、ほぼ初めてと言って良いレアケースだそうです。
身長は174センチでMLBではかなり小柄な部類であり、MLBの現役投手では3番目に身長の低い投手となるそうです。
サンディエゴ・パドレスと言えば、ダルビッシュ有選手も所属しているため、チームメイトとなります。
大谷翔平選手や山本由伸選手が所属するロサンゼルス・ドジャースと同地区のため、大谷翔平選手&山本由伸選手VSダルビッシュ有選手&松井裕樹選手となることでも注目を集めました。
開幕ロースター入りした松井裕樹選手は、ドジャースとの開幕戦に登板し、2/3回を無安打無失点に抑えました。
その後も登板を重ね、34試合を投げて3勝2敗、防御率4.02という結果を残しています(2024年6月19日現在)。
松井裕樹選手にしては物足りない数字だと思いますが、まだ1年目ですし、今後の活躍に期待です。
WBCでの活躍
画像引用元:BASEBALL GATE
松井裕樹選手は、WBCの日本代表に二度選出されています。
一度目は、2017年3月に開催された第4回大会です。背番号は10番でした。
松井裕樹選手はチーム最年少での選出ながら、3試合で2回2/3を投げて無失点の活躍でした。
日本代表は準決勝でアメリカに1-2で敗れ、ベスト4という悔しい結果に終わりました。
二度目は、2023年に開催された第5回大会です。
日本代表は3大会ぶりに世界一を奪還し、日本中が熱狂しました。
しかし、松井裕樹選手は1次ラウンドの韓国戦の1試合1イニングのみの登板でした。
1回を無安打無失点と好投しましたが、情けない期間だったと語っていました。
中継ぎを務める左ピッチャーで代表に選ばれたのは松井裕樹選手ただ一人でした。
左の救援投手として期待されながらも、大会前の壮行試合で不安の残る投球だったこともあり、大会本番では大量リードの1試合のみと登板機会はあまり回ってきませんでした。
WBC公式球に馴染めなかったことが原因と言われており、かなり悔しい思いをしたのではないでしょうか。
松井裕樹選手はどんな投手?
松井裕樹選手はオーバースローの投球フォームから最速154キロの直球と2種類のスライダー、チェンジアップ、カーブ、フォークボールなど多彩な変化球を操るサウスポーです。
中でも松井裕樹選手の武器は、直球のキレです。松井裕樹選手のストレートの回転数は2600rpmを超えることもあります。プロの平均が2200rpmほどなので、ものすごい数字であることがわかります。
また、決め球のフォークボールも一級品だそうで、2023年に行われた週刊ベースボールの企画「12球団選手&首脳陣に聞く! 2023NPB現役投手最高の変化球は?」で松井裕樹選手のフォークが10位タイに選出されました。
最高のストレートと最高のフォークのコンビネーションでメジャーリーグでも活躍すること間違いないでしょう。
ちなみにメジャーリーグにはフォークボールを投げる左投手はあまりいないそうです。そういった点も松井裕樹選手が高い評価を受けた理由なのでしょうね。
まとめ
今回の記事では、松井裕樹の経歴やプロフィール、学生時代のエピソードなどについて詳しく紹介してきました。最後に簡単にまとめてみます。
- 小学6年生の頃に横浜ベイスターズジュニアに選抜され、NPBジュニアトーナメントに出場していた。
- 中学3年の夏にはWエースの一角として、チームをリトルシニア日本選手権大会優勝に導いた。
- 高校2年の夏には甲子園で、大会史上最多の10連続奪三振と1試合22奪三振を記録するなどの活躍で知名度は全国区となった。
- NPBでは若いころからチームの抑えとして活躍し、通算200セーブを達成するなど日本を代表するクローザーとなり、2024年シーズンからMLBのパドレスに移籍している。
こうして松井裕樹選手のこれまでの経歴を並べてみると、小学校時代からずっと輝かしい成績を残してきたことがわかりますね。すべてのフィールドで結果を残していることから、MLBでも輝かしい結果を残してくれることでしょう。
松井裕樹選手のこれからの活躍に期待です!