才木浩人の学歴・経歴・プロフィールを紹介!中学時代に能見篤史が評価した才能とは?

才木浩人 学歴 経歴

阪神タイガースのエース格として活躍する才木浩人選手。

公立高校出身という異色の経歴を持ちながら、プロ野球界で確固たる地位を築いた彼の歩みは多くの野球ファンの心を打ちます。

特に注目すべきは、中学時代に元阪神の名投手・能見篤史氏との運命的な出会いです。

この出会いが才木浩人選手の人生を大きく変えることになりました。

公立校から阪神入りを果たし、トミー・ジョン手術という大きな試練を乗り越えて復活を遂げた才木浩人選手の軌跡は、まさに不屈の精神力を物語っています。

今回は、そんな才木浩人選手の学歴や経歴、そして能見篤史氏との深い絆について詳しく紹介していきます。

才木浩人のプロフィール

才木浩人画像引用元:産經新聞

才木浩人選手は兵庫県神戸市西区出身のプロ野球選手で、現在は阪神タイガースの先発ローテーションの柱として活躍しています。

その真っすぐな人柄と粘り強い投球スタイルで多くのファンに愛されている存在です。

基本情報

  • 生年月日:1998年8月8日
  • 出身地:兵庫県神戸市西区
  • 身長・体重:188cm・85kg
  • 投打:右投右打
  • ポジション:投手
  • 所属チーム:阪神タイガース
  • 背番号:35番
  • 年俸:推定1億2000万円(2025年)

才木浩人選手の最大の特徴は、最速148km/hのストレートと多彩な変化球を武器とした本格派右腕投手であることです。

公立高校出身でありながらプロの世界で成功を収めた稀有な存在として、「公立の星」と呼ばれることもあります。

性格面では非常に真面目で努力家として知られており、高校時代には学級委員長も務めていたというエピソードからも、その人格の良さが伺えます。

トミー・ジョン手術という大きな困難を乗り越えて復活を果たした精神力の強さも、彼の大きな魅力の一つと言えるでしょう。

才木浩人の学歴

才木浩人選手の学歴を辿ると、一貫して神戸市内の公立学校で学んできたことが分かります。

野球の強豪私立校からの誘いを受けることなく、地元の学校で着実に実力を積み重ねてきた背景には、彼の堅実な人格形成があったと感じられます。

小学生時代

才木浩人画像引用元:スポニチSponichiAnnex

才木浩人選手は神戸市西区にある出合小学校を卒業しました。

野球との出会いは小学1年生の時で、地元のクラブチーム「枝吉パワーズ」に所属して競技を始めています。

興味深いことに、才木浩人選手は当初捕手としてプレーしていました

現在の投手としての活躍を考えると、このポジション経験が配球やゲームの組み立てに活かされているのかもしれません。

小学生の頃から野球に真剣に取り組んでいた姿勢は、後の成功への基盤となったと言えるでしょう。

地元のクラブチームで基礎を学んだこの時期の経験が、才木浩人選手の野球人生における重要な出発点となったのです。

中学生時代

神戸市立王塚台中学校に進学した才木浩人選手は、軟式野球部に所属しました。

この時期に起きた大きな変化が、2年生の秋における投手への転向です。

中学時代の才木浩人選手にとって最も重要な出来事は、3年生の冬に参加した野球教室での能見篤史氏との出会いでした。

当時阪神タイガースの現役投手だった能見篤史氏が才木浩人選手の投球を見て才能を見抜き、激励の言葉をかけたことが、彼の人生を大きく変えることになります。

この運命的な出会いについては後ほど詳しく紹介しますが、才木浩人選手自身も「プロで野球ができているのも能見さんの励ましの一言があったから」と語っているほど、影響力の大きな出来事でした。

高校生時代

才木浩人画像引用元:高校野球ドットコム

才木浩人選手は実兄も卒業した神戸市立須磨翔風高等学校へ推薦入試で進学しました。

野球の名門校や私立高校からの誘いはなかったとされており、公立高校での挑戦が始まりました。

高校での才木浩人選手の活躍は目覚ましいものがありました。

1年生の秋という早い段階でベンチ入りを果たし、2年生の春にはチームのエースとして君臨します。

兵庫県大会では準決勝進出という成績を残し、最速148km/hのストレートを武器に「公立の星」として注目を集めました

甲子園出場こそ叶いませんでしたが、その実力はNPB球団のスカウトのみならず、MLB球団からも関心を寄せられるほどでした。

野球での活躍と並行して学級委員長も務めていたというエピソードは、才木浩人選手の人格の素晴らしさを物語っています。

この文武両道の姿勢が、後のプロでの成功につながったのではないでしょうか。

才木浩人と能見篤史の関係

才木浩人選手と能見篤史氏の関係は、単なる先輩後輩の枠を超えた深い師弟関係として知られています。

中学時代の一度の出会いが、才木浩人選手の野球人生を決定づけたと言っても過言ではありません。

能見篤史が評価した才木浩人の才能

能見篤史画像引用元:デイリー

中学3年生の冬、才木浩人選手が参加した野球教室で能見篤史氏と運命の出会いを果たします。

能見篤史氏は才木浩人選手のキャッチボールを見ただけで、その才能に衝撃を受けたと語っています。

能見篤史氏が才木浩人選手に着目した理由は、技術面と精神面の両方にありました。

「フォームがめちゃくちゃきれい」「ボールの質も素晴らしい」と技術的な評価を下す一方で、才木浩人選手が強豪私立高校からの誘いがなく公立高校への進学を考えていることを聞くと、「この先、見返してやれよ」「スカウトに言っておくから!」と力強く励ましました

この瞬間、才木浩人選手にとってプロ野球選手になることが漠然とした「夢」から具体的な「目標」へと変わったのです。

能見篤史氏の慧眼は素晴らしく、中学生の才木浩人選手の将来性を正確に見抜いていたことになります。

師弟関係の感動エピソード

2016年のドラフト会議で阪神タイガースから3位指名を受けた才木浩人選手は、憧れの能見篤史氏とチームメイトになることができました。

しかし、この師弟関係には感動的なエピソードが数多く存在します。

最も印象的なのは、2020年秋に能見篤史氏の阪神退団が決まった際の才木浩人選手の反応です。

当時、右肘の故障で投げることができなかった才木浩人選手は、クラブハウスで涙を流したと報じられています。

「成長した姿を見てもらいたかった」という才木浩人選手の思いは、師への深い敬愛の念を表しています。

引退後も能見篤史氏は野球評論家として才木浩人選手を見守り続けており、2025年5月の巨人戦では球場で観戦し、試合前に「もう少し楽しんで投げてほしい」とエールを送りました。

この言葉を受けた才木浩人選手は見事な完封勝利を収め、師弟の絆の深さを改めて示したのです。

才木浩人のプロでの経歴

才木浩人画像引用元:BASEBALLKING

2016年にプロ入りした才木浩人選手のキャリアは、順風満帆とは言えませんでした。

むしろ、大きな困難を乗り越えて現在の成功があると言えるでしょう。

そのストーリーは多くの人に勇気と感動を与えています。

2017年の1年目は主にファームでの調整が中心でしたが、10月に一軍デビューを果たし初ホールドを記録しました。

翌2018年には本格的に一軍で活動し、22試合に登板して6勝を挙げる活躍を見せます。

しかし、2019年に右肘を故障し、わずか3試合の登板に終わってしまいます。

2020年から2021年にかけては才木浩人選手にとって最も苦しい時期でした。

肘の状態が改善せず、2020年11月にはトミー・ジョン手術を受けることになります。

12月には一度自由契約となり、育成選手として再契約するという屈辱も経験しました。

2021年はリハビリに専念する年となり、マウンドに立つことができませんでした

この時期の才木浩人選手の心境は想像に難くありません。

しかし、彼は決して諦めることなく、復活への道のりを歩み続けたのです。

2022年5月に支配下選手として復帰した才木浩人選手は、見事な復活劇を演じました。

約3年ぶりに一軍マウンドに上がると、9試合に登板して4勝1敗、防御率1.53という素晴らしい成績を収めます。

完投完封も記録し、完全復活を印象づけました。

2023年には開幕ローテーション入りを果たし、19試合に登板して8勝5敗、防御率1.82をマーク。

日本シリーズでも好投を見せ、チームの躍進に大きく貢献しました。

2024年シーズンは才木浩人選手にとって飛躍の年となりました。

自身初の規定投球回に到達し、25試合に登板してキャリアハイの13勝をマーク。防御率1.83、4完投3完封という圧巻の成績で、名実ともにエースの座を確立しました。

この年の活躍が認められ、WBSCプレミア12の日本代表にも選出されています。

2025年シーズンも期待が高まる中、推定年俸1億2000万円でエースとしての責任を背負って戦っています。

まとめ

才木浩人選手の歩みを振り返ると、多くの感動的なポイントが浮かび上がってきます。

  • 公立高校出身という異色の経歴でプロ野球界で成功
  • 能見篤史氏との運命的な出会いが人生を大きく変えた
  • トミー・ジョン手術という大きな困難を乗り越えて復活
  • 真面目で努力家な人格が多くの人に愛される理由
  • 2024年には13勝を挙げて名実ともにエースに成長

才木浩人選手の物語で最も印象的なのは、中学時代の能見篤史氏との出会いです。

一人の大人の温かい言葉が、一人の少年の人生を大きく変えたという事実は、言葉の持つ力の大きさを改めて感じさせます。

能見篤史氏の「この先、見返してやれよ」という励ましの言葉が、才木浩人選手の原動力となり続けているのです。

また、トミー・ジョン手術からの復活劇は、諦めない心の大切さを教えてくれます。

一度は育成契約まで落ちた才木浩人選手が、現在ではチームのエースとして活躍している姿は、多くの人に勇気を与えているでしょう。

公立高校出身でありながら最高峰のプロ野球界で成功を収めた才木浩人選手の経歴は、環境に関係なく努力次第で夢は叶うということを証明しています。

才木浩人選手の今後の活躍にも大いに期待が集まります。

能見篤史氏のような影響力のある選手になりたいと語る才木浩人選手が、次の世代にどのような影響を与えていくのか、非常に楽しみです。