今永昇太の学歴は?出身高校や大学を紹介!「投げる哲学者」と言われる理由は?

今永昇太 学歴 経歴

2015年のドラフト会議で横浜DeNAベイスターズから1巡目で単独指名された今永昇太選手。

最速150km/hを超えるストレートや高速スライダー、チェンジアップなどを武器に2023年には最多奪三振のタイトルを獲得しました。

日本代表に選ばれた経験もある日本を代表する投手の今永昇太選手ですが、2024年からはメジャーリーグのシカゴ・カブスに移籍し、舞台をアメリカに移しました。

メジャーリーグ初登板となった2024年4月8日(現地時間)のロッキーズ戦では、4回2安打無失点と好投し、初勝利をあげました。

また、取材やインタビューの際の特徴的な言い回しにより、「投げる哲学者」の異名が付けられました。どうしてそのような異名がついたのか気になりますね。

今回の記事では、そんな今永昇太選手について詳しく解説していきたいと思います。

今永昇太選手の学歴

今永昇太選手は、1993年9月1日に福岡県北九州市で生まれました。

両親は共に中学校の教師です。

今や日本を代表する選手となった今永昇太選手はどのような環境で育ったのでしょうか。

小学校から大学まで、通っていた学校を中心に解説していきます。

今永昇太選手は「北九州市立永犬丸西小学校」出身

今永昇太画像引用元:週刊ベースボールONLINE

今永昇太選手は、北九州市立永犬丸西小学校に通っていました。

北九州市立永犬丸西小学校の基本情報

  • 所在地:北九州市八幡西区永犬丸西町四丁目4番1号
  • 設立年月日:昭和47年4月
  • 学校教育目標:よく考え 健康で たくましい 心豊かな子どもの育成
  • 著名な出身者:今永昇太

自然に囲まれた小学校ということで、今永昇太選手も伸び伸び過ごしていたのでしょうね。

小学校時代は、野球ではなくソフトボールをされていたそうです。

プロ野球選手になる人は、小学校から野球をやっているイメージなので、意外ですね。

今永昇太選手は「北九州市立永犬丸中学校」出身

今永昇太画像引用元:週刊ベースボールONLINE

今永昇太選手は北九州市立永犬丸中学校に進学しました。

北九州市立永犬丸中学校の基本情報

  • 所在地:福岡県北九州市八幡西区永犬丸四丁目5番1号
  • 設立年月日:1975年4月
  • 校訓:「知徳体」
  • 著名な出身者:今永昇太、野間口徹(俳優)、川西みち(陸上選手)

中学校に進学すると同時に、軟式野球部へ所属しました。

中学校の野球部でも3番手くらいの投手で、目立った成績は残していないそうです。

今永昇太選手は「福岡県立北筑高等学校」出身

今永昇太画像引用元:高校野球ドットコム

今永昇太選手は、福岡県立北筑高等学校に進学し、硬式野球部に所属しました。

福岡県立北筑高等学校の基本情報

  • 所在地:福岡県北九州市八幡西区北筑1-1-1
  • 設立年月日:1978年
  • 校訓:向学・自律・飛翔
  • 著名な出身者:今永昇太、野間口徹(俳優)、富豪2夢路(プロレスラー)

北筑高校卒業の野球選手は今永昇太選手以外にはいないので、野球の強豪校というわけではなさそうです。

また、下校時刻が19時半に決められていて、長い時間練習をすることができなかったそうです。

短い練習時間だったからこそ、頭を使った練習をしていて今にも活きているのではないでしょうか。

残念ながら今永昇太選手の在学中は春夏ともに甲子園出場は叶わなかったそうです。

しかし、3年時の福岡県大会では最速144 km/hのストレートを武器に好投し、プロ野球の球団スカウトからも注目されていたそうです。

そして、NPBの中日ドラゴンズから「下位になるけど、指名させて欲しい」と言われたこともあったそうです。しかし、今永昇太選手は家族や学校と話し合って駒澤大学へ進学することを選びました。

当時、今永昇太選手を評価していたスカウトの方は落ち込んだでしょうね。

今永昇太選手は「駒澤大学経済学部」出身

今永昇太画像引用元:週刊野球太郎

中日ドラゴンズからの誘いもあった中で、今永昇太選手は駒澤大学に進学しました。

駒澤大学の野球部は、1部リーグで27回もの優勝を誇る野球の強豪校です。

出身者には、以下のような数多くの有名野球選手がいます。

<主な駒澤大学出身の野球選手>

  • 中畑清(ゴールデングラブ賞7回、元DeNA監督)
  • 石毛宏典(MVP、新人王、ゴールデングラブ賞10回、ベストナイン8回)
  • 武田久(最多セーブ3回、最優秀中継ぎ投手)
  • 新井貴浩(MVP、ベストナイン2回、ゴールデングラブ賞、本塁打王、打点王)
  • 大島洋平(盗塁王、最多安打)

プロ注目の選手が多く在籍する強豪校で、今永昇太選手は1年生の春から東都大学リーグの公式戦に登板するほどの活躍ぶりでした。

さらに2年生からはエースの座につき、3年の秋季リーグ戦ではMVP、最優秀投手、ベストナインの3冠を獲得し、チームを26季ぶりの優勝に導きました。

大学4年時には、大学生ナンバーワン左腕と称されるまでになりますが、左肩痛により思うような活躍はできませんでした。

在学中はリーグ戦通算46試合に登板し、18勝16敗、防御率2.03、281奪三振という成績でした。

そして今永昇太選手が大学4年生で迎えた2015年のドラフト会議で、横浜DeNAベイスターズから1巡目で単独指名され、入団することになりました。

ちなみに今永昇太選手は、駒澤大学の経済学部に在籍していたそうです。

今永昇太選手のプロ野球選手経歴

今永昇太選手の学歴を説明してきましたが、プロ野球選手としての経歴をまとめてみます。

NPB時代

横浜DeNAベイスターズにドラフト1位で入団しました。

1年目の3月29日に初登板を果たします。自身4試合目の登板となった阪神戦では、DeNAの新人投手としては公式戦最多タイ記録の14奪三振を達成するなど1年目から活躍しました。結局1年目は22試合の登板で8勝9敗と負け越したものの、防御率2.93という成績を記録しました。

その後もコンスタントに成績を残し、2023年までチームのエースとして活躍し、横浜DeNAベイスターズに在籍した8年間の通算成績は、64勝50敗、防御率3.18という成績でした。

獲得したタイトルは、2023年の最多奪三振で、その他には月間MVPを2回受賞しました。

また、日本代表には3度選出されました。

2017年のアジアプロ野球チャンピオンシップ、2019年のWBSCプレミア12、2023のWBC日本代表です。

このように誰もが認める日本を代表するピッチャーへと成長した今永昇太選手は、2023年のシーズンオフにポスティングシステムを利用してメジャーリーグへ挑戦を決めました。

MLB時代

 

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シカゴ・カブスと4年総額5300万ドル(約77億円)の契約を結びました。

これは日本の選手が渡米したときの契約の中で、歴代5位となる大型契約となります。

移籍1年目となる2024年4月1日のロッキーズ戦で初登板を果たし、6回無失点で初勝利をあげました。デビュー戦で6回以上を投げて、9奪三振以上、無四球無失点だったピッチャーは、大リーグ史上2人目の快挙だそうです。

カブスの公式SNSによりますと、少なくとも1901年以降、デビュー戦で
▽6回以上を投げて▽9奪三振以上▽フォアボールを出さずに▽無失点だったピッチャーは、大リーグ史上2人目だということです。

引用:NHK

今永昇太選手が「投げる哲学者」と言われる理由は?

今永昇太選手は、自信の思考を独特な言い回しで表すことから、ファンやマスコミから「投げる哲学者」と呼ばれています。

今永昇太選手の人柄や野球に対する姿勢には憧れる選手も多いそうです。

どうして「投げる哲学者」と呼ばれるようになったかというと…

ルーキー時代に、今永昇太選手が投げた試合で無援護が続いていました。

しかし、無援護が続く中でも達観したような発言をしていたそうです。

これが「投げる哲学者」と呼ばれる始まりと言われています。

しかし今永昇太選手は、「投げる哲学者」というニックネームはあまり好きじゃないと語っているそうです…(笑)

ふざけたことを言ってもなにか意味があるのではないかと解釈してくれるため、それを利用しているところもあるみたいですけど。

〝投げる哲学者〟の異名の印象を問うと、今永は「僕はあまり好きじゃないんですけど…」とぶっちゃけ、「でもそれを利用してるところもある。なにかふざけたことを言っても『お、意味があるのかな?』みたいに解釈してくれる方もいるので。でもあまり掘られると、実は浅いっていう(笑)。浅いところで話してることもあるので、メッキだけ剝がれないように頑張ってきてます」と明かして笑いを誘った。

引用:サンスポ

実際にどのような発言があったのでしょうか。

代表的なものを紹介していきます。

理由①「負けた投手の名は残らない」

これは、2016年4月5日の試合後のコメントです。

自責点1の好投も実らず敗戦投手となった今永は、「エースと呼ばれる存在になるには、1対0の試合を投げ勝たないと。負けた投手の名は残らない」とコメントしました。

ルーキーの開幕直後のコメントとは思えないですね。

これが「投げる哲学者」の始まりと言えるでしょう。

理由②「鳥になれば飛べるんだよ」

今永語録と言えばこれという方もいらっしゃるのではないでしょうか。

一見何に対して言っているのかわからないこの言葉は、2017年の日本シリーズで3連敗を喫した際に生まれました。

チームが崖っぷちに立ったけど、崖ではない。鳥になって飛ぼう!ということらしいです。

あまり意味が分かりませんね…。

本人も、なぜ崖や鳥という言葉が出てきたのかわからないそうです。

のちにマスコミやファンも「鳥貴族」や「大トリ」といじるようになりました。

理由③「船出と例えるなら、まだ船からロープを外しただけというか。まだこれから百五十何試合ある。まだそんな気持ち」

これは、メジャー初登板でロッキーズ相手に6回無失点で抑えた後の言葉です。

夢見たメジャーリーグでの初登板をしっかりと抑え、勝利まで手にしたら、普通はもっと浮かれた発言をしてしまいそうですが、さすがは投げる哲学者ですね。

周りの人は自分のことを何も知らないから、自分を証明するだけと語ったそうです。

このような気を引き締めるような発言をしたことから、ファンからも「さすが今永」と称賛の言葉が溢れました。

今永昇太選手は、海を渡っても「投げる哲学者」で居続けるでしょう。

快投デビューには「もしこれを船出と例えるなら、まだ船からロープを外しただけというか。まだこれから百五十何試合ある。まだそんな気持ち」と気を引き締めていた。

引用:スポーツ報知

理由④「その他」

このように多くの今永語録が存在します。

簡単にいくつか紹介します。

  • 「援護がないという言い訳は防御率0点台の投手だけが言える」(2016年4月14日、好投したが勝ちがつかなかったときのコメント)
  • 「力のない人間は練習するしかない」(2016年4月29日、好投を続けるも援護がなく自身4連敗を喫した後のコメント)
  • 「雨だから負けていい、なんていうのはレベルが低い。幼稚な考え方。そこをどうするか考えることでランクが上がる。」(2016年8月28日、雨の中のピッチングに苦戦した際のコメント)
  • 「こういう梅雨の時期なので。皆さんも日本の四季を楽しんでいただけたらと思います」(2021年5月20日、9ヶ月ぶりの復帰登板が雨天中止になったときのコメント)
  • 「私自身、緊迫した試合展開でもあったので、ノーヒットノーランという記録よりは、まずは勝ちたいという気持ちが自分自身を無にしてくれたのではないかと思います。」(2022年6月7日、ノーヒットノーラン達成した際のコメント)

今永昇太選手の言葉からは、天候やチームの状態を言い訳にしない謙虚な姿勢が感じられます。

このような野球に対する姿勢が、成長に繋がったのでしょうね。

今永語録の世間の反応は?

今永昇太選手の発言に対する世間の反応を紹介します。

やはり考え方や謙虚さに対する称賛の声が多いです。

ファンも喜ぶような発言も多いですもんね。

また、アメリカでも投げる哲学者という異名が広まっているそうです。

本人は気に入っていないとのことでしたが、どうなんでしょうね。

まとめ

今回の記事では、今永昇太選手の経歴や「投げる哲学者」と言われる理由などについて詳しく説明してきました。最後に簡単にまとめてみたいと思います。

  • 今永昇太選手は小学校時代はソフトボールをやっていた。
  • 高校時代は甲子園出場経験はないながらもプロ注目の投手だったが、駒澤大学に進学した。
  • 大学ナンバーワン左腕と呼ばれるまでに成長し、1巡目指名でDeNAに入団した。
  • エースとして活躍し、2024年からメジャーリーグに挑戦している。
  • 取材やインタビューなどでの独特な言い回しから「投げる哲学者」と呼ばれている。

2024年からメジャーリーグのシカゴ・カブスに移籍した今永昇太選手。

初登板では6回無失点と好投し、ファンの心を掴んだでしょう。

今後も好投を続けてほしいですね!

シカゴ・カブスには鈴木誠也選手も在籍しているので、日本人選手の活躍が楽しみです。

また、「投げる哲学者」としても、数々の今永語録を生み出すことでしょう。

野球はもちろんですが、今永昇太選手の発言からも目が離せませんね。