2024年のドラフト会議で読売ジャイアンツから1位指名を受けた石塚裕惺選手。
花咲徳栄高校で甲子園出場を果たし、U-18日本代表でも4番打者として活躍してきました。
幼少期から巨人ファンだった石塚裕惺選手は、まさに期待の星として注目を集めています。
憧れの坂本勇人選手と同じユニフォームを着る夢を叶え、走攻守三拍子揃った大型遊撃手として将来を嘱望されています。
本記事では石塚裕惺選手のwiki風経歴と学歴についてご紹介します。
Contents
石塚裕惺のwiki経歴
画像引用元:スポニチSponichiAnnex
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石塚裕惺選手は千葉県八千代市出身のプロ野球選手です。
182cmの恵まれた体格を持ち、内野手として守備の要を担います。
2024年のドラフト会議では巨人と西武から外れ1位指名を受け、抽選の結果、憧れの読売ジャイアンツへの入団が決まりました。
契約金8500万円、年俸1200万円という評価は将来性の高さを物語るものです。
石塚裕惺選手の野球人生は努力と才能が融合した軌跡と言えます。
野球好きの両親のもとで育ち、幼少期から英才教育を受けてきました。
野球との出会い
石塚裕惺選手が野球と出会ったのは3歳の頃です。
父親の康直さんは埼玉県立大宮南高校の元高校球児、母親の明世さんとも大学の野球サークルで知り合ったという野球一家に生まれました。
3歳でプラスチック製のバットを握り始め、自然と野球に親しむ環境が整っていたのです。
幼稚園年長の時期に父親が監督を務める少年野球チーム「勝田ハニーズ」へ入団します。
この頃から毎日500回もの素振りを日課としており、「リアル巨人の星」と称される努力家ぶりを発揮していました。
幼稚園年長での転機
2013年2月、幼稚園年長だった石塚裕惺選手にとって人生を決定づける出来事が訪れます。
卒園記念旅行として父親と2人で読売ジャイアンツの宮崎春季キャンプを訪れたのです。
当時現役だった阿部慎之助選手、坂本勇人選手、長野久義選手らの姿を間近で見て、そのプレーに心を奪われました。
特に坂本勇人選手に憧れを抱き、「プロ野球選手になる」という強い決意を固めます。
この経験が後に巨人からドラフト1位指名を受けることになる運命の始まりとなったのです。
石塚裕惺の学歴
石塚裕惺選手は千葉県八千代市の地元校から埼玉県の強豪校へと進み、着実にステップアップを重ねてきました。
驚異的な練習をした小学生時代
画像引用元:BASEBALL POST
石塚裕惺選手は八千代市立村上東小学校に通いながら「勝田ハニーズ」で野球に打ち込んでいました。
小学生時代は毎日500回の素振りを欠かさず行い、高学年になると1000回に及ぶ日もあったというから驚きですね。
野球以外にもそろばん、英会話、吹奏楽、水泳など多くの習い事に取り組んでいました。
小学6年生の時には千葉ロッテマリーンズジュニアに選出されます。
選考会では手首の骨折が治りかけの状態にもかかわらず2本のホームランを放ち、監督を務めていた元プロ野球選手を驚かせました。
ただし、NPB12球団ジュニアトーナメントでは敗戦投手となり、この挫折がさらなる成長への原動力となったのです。
全国大会に4回出場した中学生時代
八千代市立村上東中学校に進学した石塚裕惺選手は、硬式野球の名門クラブチーム「佐倉リトルシニア」の門を叩きます。
「上には上がいる」ことを学び、より高いレベルでの競争を求めました。
競争が激しい環境の中、下級生時からスタメンを獲得し、中学3年間で全国大会に4回も出場します。
主軸打者として活躍し、遊撃手としての技術を磨きました。
花咲徳栄高校で甲子園出場
画像引用元:高校野球ドットコム
「高卒でプロに行きたい」という明確な目標を持ち、石塚裕惺選手は埼玉県の強豪・花咲徳栄高等学校へ進学します。
1年秋から三塁手としてベンチ入りを果たし、2年春からは遊撃手へ転向しました。
2年夏の埼玉県大会では19打数9安打という好成績を残し、ドラフト候補として注目を集めます。
3年夏の埼玉県大会決勝では昌平高校を相手に5打数4安打5打点と大暴れし、グランドスラムを含む猛打でチームを甲子園出場へと導きました。
石塚裕惺選手本人も「これまでの野球人生で一番うれしかったこと」と振り返る忘れられない試合です。
第106回全国高等学校野球選手権大会では初戦で新潟産業大学附属高校に惜敗しましたが、4番打者として1安打を記録しました。
高校通算本塁打は26本です。
花咲徳栄高校の岩井隆監督からは「技術以上に人間性の部分を教えてもらった」と語るなど、人間としての成長も遂げた3年間でした。
U-18日本代表での活躍
画像引用元:full-Count
2024年夏、石塚裕惺選手は第13回BFA U-18アジア選手権に出場する野球日本代表「侍ジャパン」U-18のメンバーに選出されます。
大会では全試合で4番・遊撃手として出場し、「高校ナンバーワン野手」との呼び声が高まりました。
木製バットへの対応も見事で、初戦では3安打4打点の活躍を披露します。
決勝の台湾戦でも先制タイムリーを放つなど、チームの準優勝に大きく貢献しました。
この活躍により石塚裕惺選手はプロ球団から高い評価を受け、ドラフト1位指名へとつながっていくのです。
巨人ドラフト1位の期待の星
画像引用元:YAHOO!ニュース
2024年10月24日に行われたプロ野球ドラフト会議で、石塚裕惺選手は読売ジャイアンツと埼玉西武ライオンズから外れ1位指名を受けます。
抽選の結果、幼い頃からファンだった巨人が交渉権を獲得し、夢が現実となりました。
11月17日には契約金8500万円、年俸1200万円で仮契約を結び、背番号は「23」に決定します。
入団会見では「1日でも早く1軍の戦力になって、チームの顔になれるようにやっていきたい」とプロとしての強い決意を語りました。
憧れの坂本勇人選手と同じチームでプレーできることに大きな喜びを感じており、早くも成長の機会を得ています。
プロ1年目の2025年シーズンは試練からのスタートとなりました。
春季キャンプ中に左手有鉤骨鉤を骨折し、手術とリハビリを余儀なくされます。
しかし5月に実戦復帰を果たすと、二軍で打率.327、3本塁打、OPS.891という高卒新人離れした圧倒的な成績を残したのです。
二軍での好成績が評価され、9月14日に一軍出場選手登録されます。
同日の対横浜DeNAベイスターズ戦で一軍初出場を果たし、9月23日にはプロ初安打を記録しました。
シーズン終了後にはオーストラリアン・ベースボールリーグのアデレード・ジャイアンツに派遣され、海外経験を通じて急成長を遂げています。
石塚裕惺選手は走攻守三拍子が揃った大型遊撃手として評価されており、勝負強い打撃が持ち味です。
広角に打ち分ける技術を持ち、高校時代から木製バットへの適応力も見せています。
将来的には「次世代の坂本」として巨人の中心選手になることが期待されており、怪我を乗り越えて着実に成長を続ける石塚裕惺選手から目が離せません。
まとめ
石塚裕惺選手は幼い頃から巨人ファンとして憧れた球団にドラフト1位で入団し、夢を叶えました。
花咲徳栄高校での甲子園出場やU-18日本代表での活躍など、アマチュア時代から輝かしい実績を残してきました。
プロ1年目は怪我に苦しみながらも二軍で素晴らしい成績を残し、一軍デビューも果たしています。
走攻守三拍子揃った大型遊撃手として、巨人の期待の星である石塚裕惺選手の今後の活躍に大いに期待しましょう。





