村上宗隆選手のメジャー挑戦を陰で支える通訳・八木賢造さん。
楽天グループでのキャリアを捨て、野球未経験ながらMLBの世界へ飛び込んだその経緯が注目を集めています。
八木賢造さんの経歴や学歴、そして楽天グループから村上宗隆選手の通訳へと転身した背景をくわしくご紹介したいと思います。
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八木賢造のwiki経歴
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八木賢造さんは1993年生まれ、京都府宇治市出身の32歳(2026年時点)です。
幼少期をアメリカで過ごした経験を持ち、流暢な英語力と異文化への深い理解を兼ね備えた人物。
大手IT企業・楽天グループで約10年間キャリアを積んだ後、2025年末にシカゴ・ホワイトソックスの村上宗隆選手付き通訳へと転身しました。
野球経験もなく、通訳の仕事も未経験という異色の経歴から、今や村上宗隆選手の「影の立役者」として活躍しています。
生い立ちと教育
八木賢造さんは京都府宇治市に生まれましたが、父親の仕事の都合で5歳から12歳までの7年間を米国アリゾナ州で過ごしました。
現地の学校に通いながら英語を習得し、MLBやNFLといったアメリカンスポーツの魅力にも早い段階でどっぷりとハマっていったそうです。
後にアリゾナで春季キャンプに同行した際、「空港に着いてサボテンや景色を見たらアットホームな感じがする」と語っており、この地への深い愛着が伝わってきます。
12歳で日本に帰国後は立命館宇治高等学校へ進学。
スポーツは野球ではなく硬式テニスに打ち込んでいたという点も、後に「野球未経験の通訳」として注目を集めることになる伏線のひとつといえるでしょうね。
楽天グループでのキャリア
立命館大学を2016年に卒業した八木賢造さんは、同年に楽天株式会社(現・楽天グループ)へ新卒で入社。
最初の4年間は楽天市場にてEコマースコンサルタントとして店舗支援に従事しました。
その後、楽天が携帯キャリア事業(MNO)に乗り出した2019年に楽天モバイルへ異動。
管理職として事業の立ち上げを牽引しました。
さらに2022年6月には、楽天の通信技術を海外展開する楽天シンフォニーのドイツ法人へ赴任。
「Head of Rollout Management(ロールアウトマネジメント責任者)」として、ドイツ通信大手1&1とともにヨーロッパ初となる完全仮想化モバイルネットワークの構築プロジェクトを主導しました。
これほど多岐にわたる業務を経験してきた点に、八木賢造さんの高い適応力と行動力を感じますね!
ドイツでの駐在経験を通じて「やはり海外は性に合う」「いつかアメリカで仕事をしたい」という気持ちがさらに強まっていったといいます。
MLB通訳への転身
社会人10年目という節目を迎えた2025年。
ドイツから日本へ帰任したばかりの同年9月、楽天から野球業界に転職していた知人から「日本人メジャーリーガーの通訳の仕事がある」という連絡が届きます。
当初は誰の通訳かは知らされていませんでしたが、話が進む中で村上宗隆選手だと判明。
子供の頃は巨人ファンで、楽天ファンとしても村上宗隆選手の活躍を「ここで打たないでくれよ」と思いながら観ていたという八木賢造さんにとって、この展開はかなり驚きだったことでしょう。
2025年11月後半から12月にかけて村上選手の代理人事務所「よしもとスポーツ」と複数回の面接を実施。
12月初旬には村上宗隆選手本人と約30分間の面談を経て、正式採用が決定しました。
「新しい世界に飛び込んでみるのもありかなと思い、挑戦を決意しました」という言葉には、10年間の会社員生活で培った自信と覚悟が滲み出ています。
村上宗隆の通訳としての役割
八木賢造さんの仕事は、単純な言語通訳にはとどまりません。
村上宗隆選手が野球に集中できる環境を整えるため、あらゆる場面でサポートを担っています。
野球面では、打撃コーチ陣が作成した相手投手の詳細な分析レポートを日本語に要約し、村上宗隆選手が素早く多くの情報を得られるよう工夫しています。
試合中は打席が近づくとブルペンのウォーミングアップ状況も確認し、リアルタイムで情報を届けるなど、非常に細やかな対応が特徴的です。
コミュニケーション面では、「”英語を喋る村上宗隆選手”になりきる」という独自のアプローチを実践。
村上宗隆選手の人柄や性格をチームに正しく伝えることを最優先に考えています。
あえて少し離れた位置に立つよう心がけることで、村上宗隆選手がチームメイトと直接コミュニケーションを取れる空間を意識的につくり出しています。
日常生活においても、試合のある日はほぼ毎日村上宗隆選手と一緒に車で球場入りするなど、公私にわたって行動をともにしています。
チームメイトやコーチ陣からは「ケン」「ケンゾー」と呼ばれ、早くもホワイトソックスのムードメーカー的な存在に。
村上宗隆選手の活躍の裏には、この「通訳界のルーキー」の献身的な支えがあることは間違いないでしょう。
八木賢造の学歴
八木賢造さんの学歴を振り返ると、幼少期のアメリカ生活から始まる独特のバックグラウンドが見えてきます。
国際的な環境で育ち、日本の進学校を経て立命館大学で国際学を修めた経歴は、現在のMLB通訳としての仕事に直結しています。
アメリカでの小学生時代
八木賢造さんの小学生時代の大部分は、日本ではなくアメリカ・アリゾナ州で過ごしました。
父親の仕事の関係で5歳から12歳まで現地に在住し、地元の学校に通いながら自然と英語を身につけていきました。
アリゾナ州はMLBのスプリングトレーニング(春季キャンプ)の本場としても知られています。
そんな環境に身を置いたことで、幼い頃からMLBやNFLへの関心が芽生え、「MLBは子供のころから見てきて、憧れてきた世界でした」と語るほどの熱狂的なファンに育っていきます。
この幼少期の経験こそが、後にMLBの舞台で働くという夢の原点といえるのではないでしょうか。
日本に帰国した中学生時代
12歳で日本に帰国した八木賢造さんは、日本の中学校に通いながら国内の生活に適応していきました。
アメリカ生活が長かったため、帰国後もバイリンガルとしての英語力を維持し続けたものと考えられます。
スポーツ面では野球ではなく硬式テニスに打ち込んでいた時期でもあり、この頃から「文武両道」的な生き方が形成されていったようです。
具体的なエピソードの公開情報は現時点では限られていますが、海外生活と日本の教育環境の両方を経験した中学時代は、八木賢造さんの異文化への適応力をさらに高める期間だったといえるでしょう。
高校生時代
中学卒業後は、京都府宇治市にある立命館宇治高等学校へ進学。
同校は立命館大学の附属系列校であり、国際教育に力を入れることで知られる進学校です。
帰国子女として培った英語力が、この学校環境でさらに活かされたことは想像に難くありません。
高校時代の詳細なエピソードはまだ多くは公開されていませんが、国際色豊かな学校環境の中で、八木賢造さんの「海外への志向」はより一層磨かれていったはずです。
大学生時代
高校卒業後は立命館大学へ進学し、国際関係学と英語コミュニケーションを専攻しました。
在学中には海外で生活する機会も得たとされており、幼少期から積み上げてきた英語力をさらに実践的なレベルへと高めていきます。
「大学時代は国際学と英語コミュニケーションの学位を取得し、7年間海外で生活する機会を得ました。多文化環境に身を置くことは常に私の心を引きつけてきました」と語るように、この時期の学びと経験がその後の楽天グループでの海外業務、そして現在のMLB通訳という仕事へとつながっていきました。
2016年に立命館大学を卒業後、楽天グループへ新卒入社しています。
まとめ
八木賢造さんは、幼少期のアメリカ生活で培った英語力を武器に楽天グループで約10年のキャリアを積み、社会人10年目の節目に村上宗隆選手の通訳へと転身した人物です。
野球未経験ながら献身的なサポートでチームに溶け込む姿は、村上宗隆選手のメジャー挑戦に欠かせない存在となっています。
村上宗隆選手の活躍と共に、通訳である八木賢造さんへの注目もこれから高くなっていくことは間違いないでしょう!


