プロ野球界を代表するスラッガーとして活躍する村上宗隆選手の家族について、詳しくご紹介します。
村上家は父・公弥さん、母・文代さん、そして3人兄弟の5人家族。父親は元野球選手で現在は実業家として成功を収め、母親はバレーボール経験者という、スポーツへの造詣が深い家庭です。
特筆すべきは、3兄弟全員が野球選手として頭角を現していることです。
また、家族全員が高身長という恵まれた身体的特徴を持っており、充実した家庭環境の中で村上宗隆選手は成長してきました。
野球への情熱と才能を開花させ、プロ野球選手として大成した村上宗隆選手の背景には、このような素晴らしい家族の存在があったのです。
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村上宗隆は3兄弟で5人家族
画像引用元:サンスポ
村上宗隆選手は、3人兄弟の真ん中として生まれました。
兄の友幸さんは2歳年上、弟の慶太さんは5歳年下です。
父親の公弥さん、母親の文代さんを含めた5人家族で、熊本市で暮らしてきました。
一家は「早寝早起き」を家訓とし、規則正しい生活習慣を大切にしてきました。
村上家の家訓は「早寝早起き」です。大きく育つと言いますから。小さい頃は3兄弟とも、夜は8時半には寝て、朝6時くらいに起きていた。
また、全員がスポーツに親しみ、特に野球との関わりが深い家庭環境の中で育ってきました。
両親は子育てにおいて、基本的な礼儀作法を重視しながらも、子どもたちの自主性を尊重する姿勢を持っていました。
このバランスの取れた教育方針が、3兄弟それぞれの個性的な成長を支えることになりました。
村上宗隆の父親はどんな人?
村上宗隆選手の父親である公弥さんは、50歳前後の実業家です。
厳格な姿勢でありながら、子どもたちを温かく見守り続けてきた存在です。
自身のスポーツ経験を活かしながら、息子たちの成長をサポートしてきました。
父親:村上公弥さんは野球経験者
公弥さんは熊本県の名門・熊本工大高等学校(現在の文徳高等学校)で野球部に所属し、ショートを守っていました。
しかし、高校1年生時に右肩を痛めてしまい、選手としての道を断念せざるを得ませんでした。
この経験があったからこそ、息子たちには野球の楽しさを伝えたいという強い思いを持つようになりました。
その思いから、村上宗隆選手が5歳の時に地域のスポーツクラブ「熊本東リトルシニア」に連れて行ったことが、3兄弟の野球人生の始まりとなりました。
現在も熊本東リトルシニアの副会長を務めており、地域の野球発展にも貢献しています。
村上公弥さんは不動産会社の社長
画像引用元:日刊新報
公弥さんは34歳という若さで独立を決意し、「ムラカミ不動産」を設立しました。
10年間勤めた地元建設会社での経験を活かし、不動産の売買および仲介事業を手がけています。
その後、会社を成長させ、上場も果たすなど、経営者としても大きな成功を収めています。
熊本市中央区に本社を構え、地域に根ざした経営を行っています。
村上宗隆と公弥さんのエピソード
近所の不動産屋さんの息子が野球の五輪代表に内定しました。是非活躍してもらいたいです!#ムラカミ不動産#村上宗隆 pic.twitter.com/zWqwRJyvUA
— 木原みのる(木原稔) (@kihara_minoru) June 21, 2021
父親としての公弥さんは、子どもたちに対して礼儀作法を重視した教育を行ってきました。
これは、公弥さんの父親(村上宗隆選手の祖父)が警察官だったことの影響もあります。
特に小学生の頃は、おざなりな返事をした際には「そんな小さい声で人に伝わると思っているのか。伝わって初めて返事なんだ」と厳しく叱るなど、基本的な躾を大切にしていました。
また、食事のマナーにも厳しく、箸の持ち方や「ご飯は一粒残さず食べる」ことなどを徹底して教えていました。
時には手を上げることもあったというほど、礼儀作法の教育には力を入れていました。
長男の友幸、ムネ、三男の慶太の子供たちに特別なことを教えたつもりはありません。人として当たり前の礼儀やあいさつについて言っただけ。「相手に聞こえていないなら、あいさつでも返事でもない。はっきりしゃべりなさい」と。相手に伝わっていないと意味がありません。野球では「三振でも内野ゴロでもアウトはアウト。だから思い切り振りなさい」と教えました。
一方で、「中学生になったら息子の人生は自分で決めさせよう」という考えを持っており、成長に合わせて子どもたちの自主性を尊重する姿勢に変わっていきました。
村上宗隆選手の試合は特別な用事がない限り必ず見ており、試合前後にはシャワーを浴びて身を清めるなど、息子の活躍を心から応援する姿勢も印象的です。
プロ入り後、村上宗隆選手は「兄弟3人とも高校は私学で野球をやらせてもらって感謝している。好きな野球を不自由なくさせてもらったことは、今になってすごくありがたいことだと思っているよ」と父親への感謝の言葉を贈ったそうです。
このエピソードからも、公弥さんの教育方針が子どもたちの成長に大きな影響を与えたことがうかがえます。
村上宗隆の母親はどんな人?
画像引用元:サンスポ
村上宗隆選手の母親である文代さんは、170cmという高身長で運動神経抜群の女性です。
家庭では3人の息子たちの成長を献身的にサポートし続けてきた、大きな存在です。
厳格な父親に対して、なだめ役として子どもたちの気持ちに寄り添ってきました。
母親:村上文代さんはバレーボール経験者
文代さんは高校時代、バレーボール部でアタッカーとして活躍していました。
恵まれた身長を活かし、高い打点からの強烈なスパイクを得意としていたそうです。
この運動神経の良さは3人の息子たちに受け継がれ、特に高身長という遺伝的特徴は、野球選手としての素質に大きく貢献することになりました。
村上文代さんの職業は?
文代さんは専業主婦として、3人の息子たちの成長を全面的にサポートしてきました。
また、書道の先生としても活動していた経験があり、芸術面での才能も持ち合わせています。
その影響で村上宗隆選手も書道の腕前が高く、高校3年時には書展で入賞するほどの実力を身につけました。
村上宗隆と文代さんのエピソード
文代さんの最大の特技は料理です。成長期の3兄弟に対して、栄養バランスの取れた豊富な食事を提供し続けてきました。
特にチキン南蛮や唐揚げは絶品で、一度に100個もの餃子を作るなど、量も質も充実した手料理で、3人の体作りをサポートしてきました。
夫の公弥さんも「母ちゃんのうまいメシば食って大きく育てたかった」と語るほど、その腕前は家族全員が認めるところです。
村上宗隆選手は母親への感謝の気持ちを様々な形で表現しています。
プロ入り後には母の誕生日にホームランを打ち、「誕生日おめでとう」というメッセージを添えたボールをプレゼントしました。
小さい頃から私たちの誕生日によくホームランを打ってくれました。21年の嫁さんの誕生日にも打って、「誕生日おめでとう」とメッセージを添えたボールを贈ってくれた。21日は長男の25歳の誕生日。その日にまさかサヨナラ打とは。年末には毎年、私たち夫婦にプレゼントも買ってきてくれる。ハワイ旅行にも招待してくれました。本当に家族孝行な息子です。
このような温かいエピソードからも、母子の深い絆を感じることができます。
また、文代さんは厳格な父親の教育方針に対して、時にはなだめ役として子どもたちの気持ちに寄り添う存在でもありました。
3人兄弟の真ん中である村上宗隆選手にとって、母親の存在は精神的な支えとして大きな意味を持っていたことがうかがえます。
村上宗隆の兄・友幸さんはどんな人?
画像引用元:デイリー新潮
村上友幸さんは1998年3月21日生まれで、身長193cmという長身が特徴的な元野球選手です。
東海大学附属熊本星翔高校から東海大学を経て、社会人野球のテイ・エステックでプレーしました。
大学時代には最速148km/hの速球を投げる右腕として注目を集めましたが、怪我の影響もあり思うような成績を残すことができませんでした。
しかし、野球への情熱は決して失うことなく、社会人野球でも投手として活躍。2022年に現役を引退するまで、野球に全力で取り組み続けました。
弟の村上宗隆選手との比較で悩んだ時期もありましたが、自分の道を諦めることなく歩み続けた姿勢は、まさに村上家の「野球一家」としての精神を体現するものでした。
常に高身長を活かした投球で、自分らしい野球を追求し続けた姿勢は、多くの人々の心に残るものとなりました。
村上宗隆の弟・慶太さんはどんな人?
画像引用元:スポニチSponichiAnnex
村上慶太さんは2004年11月11日生まれで、身長190cm、体重100kgという堂々たる体格を持つ内野手です。
熊本東リトルシニアを経て九州学院高校に進学し、2022年の夏の甲子園では4番一塁手として出場。チームをベスト8まで導く大活躍を見せました。
初戦では決勝点となる先制タイムリーヒットを放つなど、勝負強さを見せました。
また、8回には左翼フェンス直撃の二塁打を放つなど、兄・村上宗隆選手譲りの打撃センスも披露。
高校通算本塁打は7本と、兄の52本には及びませんでしたが、バットコントロールの良さを高く評価されています。
現在は日本大学に進学し、「4年後ドラフト1位でプロに行きたい」という高い目標を掲げています。
片岡昭吾監督からは打撃センスを高く評価されており、将来が期待されています。
兄の存在を「異次元の世界」と認めながらも、「自分のプレーで村上宗隆を、”村上慶太の兄”と言わせるように頑張ろう」と意気込んでおり、その強い向上心には目を見張るものがあります。
村上家は全員高身長!
村上家の大きな特徴として、家族全員が高身長であることが挙げられます。
父親の公弥さんが180cm、母親の文代さんが170cmと、両親ともに日本人の平均身長を大きく上回っています。
3兄弟に至っては、長男の友幸さんが193cm、次男の村上宗隆選手が188cm、三男の慶太さんが190cmと、全員が190cm前後という驚異的な高身長を誇ります。
この恵まれた体格は、両親からの遺伝的要因に加え、家庭環境も大きく影響していると考えられます。
村上家では「たっぷり食べて、ぐっすり睡眠をとる」という方針で子育てを行ってきました。
特に母親の文代さんの栄養バランスの取れた手料理により、3兄弟は人並み以上の食事量で健全な成長を遂げることができました。
家族全員の高身長は、スポーツをする上で大きなアドバンテージとなっています。
母親がバレーボールでアタッカーとして活躍したように、3兄弟も野球において身長を活かしたプレースタイルを確立。
特に村上宗隆選手は、188cmという恵まれた体格を活かして、強烈な打球を放つ力強い打撃を身につけることができました。
まとめ
以上が、村上宗隆選手の家族について詳しく解説してきました。最後にポイントを簡単にまとめたいと思います。
- 両親の教育方針と家庭環境が子どもたちの成長を支え、厳しい躾と愛情深いサポート、そして「早寝早起き」を家訓とした規則正しい生活が、3兄弟の人格形成に大きく貢献した
- 家族全員が高身長で運動能力に優れており、父親の野球経験と母親のバレーボール経験という恵まれたスポーツ環境の中で、3兄弟は野球選手としての素質を開花させることができた
- 母親の栄養バランスの取れた手料理による充実した食生活と、父親の不動産会社経営による安定した生活基盤により、3兄弟は野球に打ち込める環境で成長することができた
- 3兄弟それぞれが野球への強い情熱を持ち、兄は社会人野球で、村上宗隆選手はプロ野球で、弟は大学野球でと、それぞれの道を自分の意思で選び取り、野球に真摯に向き合っている
このように、村上家は恵まれた身体能力と充実した家庭環境、そして野球への強い情熱が重なり合って、3人の優れた野球選手を育て上げました。
特に村上宗隆選手の華々しい活躍は、このような家族の存在があってこそ実現したものと言えるでしょう。
今後は弟の慶太さんの活躍も期待され、野球界における「村上家」の名声は、さらに高まっていくことでしょう。